ついていかなかったら

 じりじり。言いようもない焦りがナマエを襲う。理は間違いなく成長していた。
 菓子折を持って春に訪ねた時、寮の子らが理を支えてくれているのにお礼を言いたくなった。夏休みには充実した学校生活を送っているようでホッとした。秋はとりわけ仲のいい友達が出来たようで、良かった良かったと、うんうん頷いていた。
 そして、季節は冬。駅まで迎えに来てくれたのはいつも通りだが、「来てくれてありがとう」なんて四回目にして初めて聞いた。ナマエは戸惑いながら、元気にしているか聞いた。顔を綻ばせながら「元気だよ」と言う理、その晴れやかな表情に心配が杞憂だったことが理解できた。
 弟の調子が気になっては港区を訪ねていた。狙っている自覚はないが、季節の節目ごとに巌戸台駅に降り立っている。
 今回は無気力症、変な宗教が港区で盛んだと聞いて、本気で心配になって、やってきた。
 早速、変なビラが地面に撒かれている。世界の終わりがやってくる、と言われてもいまいちピンとこなかったが、こんなにも人がいないと説得力が増す。駅前の商店街も今まで来た時と違って全く活気がない。
「なんか、怖い感じになっちゃったね。人いないし…」
「そうだね、まあ、その内なんとかなるよ」
「そう…なの?」
「ん、…きっと」
 恐ろしく前向きなのに目を剥いた。こんな状況なのに、いきいきしている。
 荷物を率先して持って、隣を歩く弟がなんだか別人みたい。ナマエは見知らぬ人と接するような感覚に陥る。余所余所しくなってしまう。(何、他人行儀になってるの、と笑って指摘された)
 大きな扉を抜け、寮へ招かれる。暖かさにほうと息をついていると、見知った顔がソファに腰掛けていた。
「結城君のお姉さんだ、こんにちは」
「こんにちは、また来てくれたんですね。結城君、良かったね」
「うん」
 寮の女子たちと談笑する理。空元気ではない、自然な笑顔。寮生たちも理と同じように、この状況を乗り越えようとしているのが見てとれた。この寮の中だけ別世界にいるよう。外の冷たい閉塞感に負けず、前向きに進もうとしている。
 理、凄いなと共に、どうして?という気持ちが生じる。どうして?とは、どうして前向きになれるのという疑問ではない。
 どうして成長してしまったの、だ。
 自分にくっついてばかりいた弟は、知らない間に一人で地に足つけて立っていた。感情を顕にして、心を許せる友人がそばにいる。それがなぜか無性に悔しくて、腹立たしい。
 …なんて醜い!ナマエは感情を悟られまいと、咄嗟に笑顔を作った。
 弟が成長したら嬉しいのが正しい答えなのに、自分が間違っているようだ。
 ナマエは想像する。理がここに来るまでと変わらなかったら。変わらずに自分のそばに居て、自分の前だけでそっと笑ってみせる理を。それがナマエの日常だった。
 理を独り占めしたい自分に自嘲する。それに、なんだか理に恋をしているみたいだ。そこまで考えて、思い切り溜息を吐いた。
 ここにいる間、ずっとそれだけ考えていた。頭の中でのたうちまわり、行かないでと泣き叫ぶ。私を置いていかないで。きっと好きなんだろうな、絶対言えないけれど。
 私も巌戸台まで付いてきたら良かった。そうしたら成長を一緒に喜べただろうに。ああもういやだ。このぐちゃぐちゃした感情を、新雪に足跡をつけるみたいに、そっと、無遠慮に残していけたらいいのに。
 律儀に駅のホームまでついてきた理。ナマエはマイナスの感情に最後まで苦しんでいた。「顔色悪いけど大丈夫か?」と心配されるも、もう笑顔が作れない。そっぽを向いて、追い返すように手を振った。
「私なんていいから。さっさと行った行った」
 それに「寮の子らが待ってるんでしょ」も付け足しておく。なんともそっけない別れ方。電車が到着した。ナマエが乗り込むとドアが閉まる。ナマエは理に背を向けた。
 未練がましい私なんて置いていけ。私なんて忘れて、どっか行ったらいいんだ。
 発進しだした電車。ドアを背にして、しばらく。駅から大分離れたことを確認して座席に座る。
 車両内には人がいない。思う存分泣けるな、と苦笑いしながらナマエは涙をこぼしていた。