ねむってちょうだいな

 コンコンコンと遠慮がちに部屋をノックする音。返事をするのが面倒で放置していると、「どうぞ」の言葉を待たずして、ナマエが僕の部屋に入ってきた。ポットとカップをふたつを乗せたティートレーを携えている。

「起きてるなら返事してよ」
「返事をする前に入ってくるな」

 言葉が重なる。ナマエは眉間に皺を寄せながら「折角、緑茶いれてきたのにさあ」とブツブツ文句を言う。ナヒーダから与えられた大きめの机にティートレーを置くと、ポットから緑茶をカップに注ぐ。
 部屋中が緑茶の香りに包まれる。
 机に本やノートを広げていた僕にナマエはカップを差し出す。…仕方なく、カップを受け取った。

「暗いな、部屋」
「机にあるランプだけで充分だろ。それにしたって…ナヒーダからどんな入れ知恵を吹き込まれたんだか」
「ば、ばれてるー。…放浪者ってば夜遅くまで勉強してるから早々に寝かせてこい、と」

 思い切り溜息をついた後、緑茶を1口飲む。「何だよ人の厚意を無下にする気か?」と小言を挟まれるが、無視。
 人形に眠りは必要ない。(眠れなくは無いのだが)そして、それをコイツは知らない。人形だって言っても信じないだろうから服で隠れている球体関節でも見せて追い出しても良かった。
 でも、そうするのが何故か躊躇われて。…どうしてそうしたくないか追求すると、きっと自分が情けなくなるから、考えを切り替える。

「僕のことなんか放っておいてよ」
「えー…じゃあ放浪者が眠るまでここにいるね?」
「どうしてそうなる!!」

 ナヒーダの悲しむ顔が見たくないんだよ〜生活リズム整えろよ〜頼むよ〜と泣き言のようなものをつらつら吐き出しながら、ナマエもポットを注いで、のんびり緑茶を飲んでいる。

「随分余裕があるようで」
「そう?眠れるような方法は何個か考えてきたからね。安眠を約束するよ」
「まるで信用出来ない…」

 ナマエは何でも入る鞄から、分厚い本を取りだした。表紙から見るに「知論派」の学者の論文をまとめた本のようだ。

「難しい本について聞いてると眠くなるやつを、やります」

 何なんだそれは、と言う間もなく、僕を椅子から追い出し、ベッドの方へ引き摺る。(その間、放浪者思ったより軽いな!?と驚かれる)抵抗するのも面倒くさいので好きにやらせてみることにした。仕方なくベッドにもぐる。ナマエはベッドの縁に座って、本のページを開く。

「じゃあ読むね、…ヒルチャールの言語、交流について」

 ナマエがゆっくり読み始めたのは、ヒルチャールの言語を理解するために試みた実証。意思疎通の方法などをある程度会得した学者の論文だった。もどきの魔物連中を理解しようとすることから不可解だったが、学問とは興味のあることを追求するものだ。そういう、もの好きも居たのだろう。途中、協力者も登場し、彼にもヒルチャールと実際に交流してもらい、敵意がないことを示した後、ヒルチャールが返事とともに軽快に踊ったらしい。この踊りの意味は歓迎の意だろうか。ヒルチャールの文化にも興味を持った、時には派閥を超えることもあるだろう、と読み聞かせを締める頃には、ナマエが眠気まなこになっていた。うとうとしている。
 ヒルチャールの言語を知り、交流できるならば、カーンルイア、アビスについて情報を得られるかもしれない。論文に載っている言葉を覚えておいても損はなさそうだ。この学者がさらに言語を理解しようとするなら、会う価値があるかもしれない。

「なんで…目、パッチリなのかな…?」
「珍しく面白い論文だったから」
「ぎゃくに、興味をそそってしまった…?」

 ナマエは目を擦るも、次第に瞼が落ちる頻度が増えていく。

「ふぁ、眠い…ここで寝てっていい?」
「はあ!?」
「もう戻るのもめんどい…あと人肌があると眠り…やすい…らしい…」

 もう1つの「眠れるような方法」がそれなのか。
 僕が起き上がった隙にナマエがベットにもぐりこむ。そのまま、しばらくして寝息が聞こえ始めた。完全に、寝た。ミイラ取りがミイラになった。
 蹴飛ばしてベッドから落としても良かったが、安らかな寝顔を見ると、何故か戸惑われる。
 ああもう!と仕方なく自分もベッドで眠ることにした。机の上の橙色の明かりが眠るのに丁度いい…のかもしれない。だが、ぴたりとくっついてきたナマエの心臓の音を聴くと、無性に不安になる。
 そういえば、幼な子もこうしてくっついてきて、僕に縋り付くように眠っていた。僕は何も知らないで、一緒にのうのうと眠っていた…。

――――

「うーん」

 調理人の朝は早い。ここにはアラームがないから体内時計で起きている毎日。不思議と朝起きを心がけていると寝坊したことがないんだよなあ。
 さて、今何時だろう…と目を開けると、放浪者がじっと俺を見ていた。

「うわぁっ!?おはよう!?」
「……おはよう」

飛び起きる俺、気だるそうに起き上がり、ベッドの縁に座る放浪者。

「放浪者ってば早起きだね!」
「別に、寝てない」
「え…?嘘、マジで…?」
「…嘘ととってくれてもいいよ」
「もしかして、俺がいたから緊張して寝れなかった…?だったらごめん!」
「だから…」

 人間を心配するように青い顔をして、調子は大丈夫か?今から寝てもいいんだぞ、朝ごはんとっとくから!と慌てふためていている。

 たしかに、眠れなかったのはナマエのせいなのだろう。とくんとくんと心地よく聴こえる心臓の音がいつ止まるか分からなくて、怖かった。そんなこと、言えるわけないけれど。

「本当に、嘘だってば…まったく、君って馬鹿正直だよね」
「…本当か?眠れたってことでいいの?」
「あぁ。…起きた時、間抜けな寝顔が見れて滑稽だったよ」
「ひどい言い草だ…。だからってあんな凝視しなくてもさあ…」
「目に焼き付けておこうと思ってね」
「なんだよそれ〜…もー…まあミッション達成したならいっか…」

 部屋から出ていこうとする背中に声をかけてやった。

「朝食作り、手伝ってやらなくもないよ」
「本当か!?ありがと!…これってもしかして放浪者の感謝の気持ち?」
「調子に乗るな」
「いてっ!」

 さすがに蹴りを入れてやった。別に、有益な論文が聞けたから。それだけ。