ここ最近、ずっと監視下に置かれながらの書類整理を続けていた。
厳しい目線に晒されるも、幻想の海を眺めると少しだけ心を整えることが出来た。ふわふわと漂うきらきらした魚達。きっと海がなければ胃がキリキリしてたろう。薬必須だったろう。
何故かこの海ではホッシだけが喋りかけてくれる。謎のヒトデ。俺の事を知っている幻覚。自分が作り出しているようなもんだからそりゃそうか。他の魚、海藻、貝類は物言わない中でペラペラ作業中にも関わらず話しかけてくる。リオンはその声が聞こえないようだ。なんか、ソーディアンみたいだな…。ということで、リオンがいる中で答えられる訳がない。自室に戻ってからちょこちょこ会話をしている。
魚も面子が変わっていたりするが、大体同じような魚がいる。
オレンジ色の人懐こいクマノミ、いつも俺の側をうろちょろしている。のっぺりとしたヒラメ…カレイかもしれない。同じくのんびりしたマンボウ、きれいに海を舞う赤い鯛、でかいカツオ?たまにスミを吐いているたこ、イカ。…あとは名前が浮かばないもの。黄色い熱帯魚に、しましまの魚、群れになって泳いでいる魚たち。
これらの魚たちは本来なら弱肉強食な関係であろうが、幻想では仲良くやっているようだ。特に食べられている姿を見たことがない。
今日もリオンと無言のまま帰宅。城の兵舎から荷物を引き払われたようだ。最低限のものだけ置いてあったヒューゴ邸の俺の部屋に荷物が運び込まれていた。独り立ちしようとここから出てきたのに、逆戻りになっている。
階段でお疲れ様です、とリオンと別れて、すぐにベッドに横になる。重圧から解放された…。さすがに部屋には着いてこない。労ってくれているのか、魚が俺の周りに漂う。ありがたい。
ホッシが枕元に座る。やっと話せる~と嬉しそう。
「お疲れ様」
「お疲れ」
「なんだか日に日に書類片付けるの大変そうになってるね」
「まあなあ、楽だけど面倒くさい。…後、飽きたかも」
「ふーん、じゃあさ、また兵士の任務に戻ったら?そっちの方が体を動かせて気が紛れるんじゃない?」
「それは無理だろ」
…リオンは許してくれないよ。
「またぁ、君ってば勝手な憶測で立ち止まっちゃって」
思い込みだと言いたいのか。そうかもしれないけど、とヒトデに押される人間。でもでもだって。リオンは、リオンは俺にずっと事務だけさせたいんだ。勝手に動かれて死なれちゃ困る、迷惑だって思ってる。
リオンが俺を助けたのは、周りの人間に自死されると色々面倒だし、評判に関わるからだろうと判断していた。実行に移した場所もヒューゴ邸の納屋だったし。
それに、マリアンに言われてしぶしぶ、ここまでお守りをしているのかも。
冷静に状況を整理しようとしても、浮かぶのはこんな悲しい感じのこと。希望的観測は出来なかった。
あれ以来、俺のことなど目もくれなくなったリオンは、ヒューゴ様ゆずりの冷酷な性格を躊躇せずに成長させてきた。(任務で兵士に怒鳴りつけるリオンを何度見たことか)
だから、きっと、もうーー。
「…ほら、立ち止まってないで!…まあ、ね、無理させたくはないけど、行動してみようよ。何か変わるかもしれないよ?」
思考を停止させていた中、ホッシの檄が飛ぶ。…何が変わるっていうんだ。前向きだなあ、このヒトデ。本当に自分が作り出したものなのか、と疑いたくなる。
…そりゃあ、任務に出れるようになれば、今の環境よりかはマシかもしれない。体を動かせる。唯一、実感というか、魔物を倒して手応えを得られる事を思い出す。自分にはこれができたっていう、達成感。…また感じてみたいかもしれない。…せめて、もう一度だけ。
「却下だ」
勇気を振り絞って行動した結果、これであった。リオンは身支度をしていた。客員剣士は、近隣の魔物討伐のための指揮を執る日だった。
リオンは、俺を執務室に置いていき、部屋の外に監視の兵を立たせると言った。
「魔物に突っ込んで死なれたら、…夢見が悪い」
そう考えたか!!…でもその手もあったか。思い至らなかった…。そこにもショックを受ける。魚たちは怯えたように俺の足元に集まる。俯いたまま、じっと床を見ることしかできない俺に、肩に乗っていたホッシが「リオンくん、悲しそう」と呟いた。その言葉に弾かれたように顔をあげると、たしかにリオンの表情は翳っているようにみえる。いつもみたいに怒っているように見えたら、もう何も言えなかっただろう。
「…しにません。…そこまで、強い敵もいないじゃないですか」
声をふりしぼる。足元にかたまっていた魚がくずれていく。周りをゆらゆら漂って、俺を守ってくれているみたいだ。リオンは視線を外した。
「…だが」
「もう、リオン様の迷惑になりませんから。任務の手伝いをさせてください。…あの、正直、事務を続けすぎて、体が鈍っていて…」
「……そうか、分かった。お前も支度しろ」
「そうですよね…。って、え…!?」
「装備は用意させる」
ダメかと思ったが、結構あっさり許しを得ることができた。
唐突に視界を泡が舞う。きらきら輝いてみえる海。やったじゃん、というホッシにただ頷き、暫しぼうっとしていた。…なにか、変わったのかな。じわじわと謎の気力が湧いてくる。
その内、廊下に向かって声をあげたリオンの命に従ってか、メイドさんが装備らしきものを運んできた。兵士標準装備の甲冑じゃない。さすがに補佐官となったからか、リオンには及ばないが、それでも貴公子のように仕立てられている…。
これを着るのかと戸惑ったが、任務に出るといった言葉に二言はない、というかリオンが見ている以上、逃げられない。未だお揃いのようなハイネックの上に厚手の服を羽織った。…何故ピッタリなのかは絶対に聞けない…。
そして愛用していた剣との再会。…なんだか、感慨深い。メイドさんから渡された鞘に収まった剣。手にしっくりくるそれを、強く握りしめた。
「うん?」
ホッシが首を傾げる。…詳しく言うと五つの角の内の上の一つを捻った。
「なんか言ってるな。『坊ちゃん、嬉しそうじゃないですか、良かったですね!』ってあの剣から声がするよ」
…ホッシはソーディアンマスターでもあったようだ。多分、シャルの声が聞こえるようだ。
しかし、坊ちゃんて。…どんな人なのかな、と想像していたシャルは、リオンを坊ちゃんと呼んでいるようだ。初めて知った。
リオンは通訳されているのを知らず「あぁ、そうだな」と小声でしゃべっていた。や、優しい…?
**
「これより、ダリルシェイド周辺の魔物の掃討を行う。各々目についた魔物を討伐しろ」
リオンの後ろに控える俺の姿をざわざわ…とはならない。リオンはかなり厳しいので私語はほとんど禁止していた。驚いているであろう知り合いの目に晒されながらも、腹をくくった俺は腰にさした剣を握りしめた。
「お前は僕の側を離れるな」
「はい」
兵士達が散開した。自分もいつもと同じようにリオンから離れて魔物を探そうとすれば、それを予期したように命令を叩きつけられる。
「なんだかときめいちゃうね!」
なんと呑気な。ホッシはヒュウと口を鳴らす。
こういうのって、女の子ならときめくのだろうか。いくら美少年だからってお前呼ばわりだぞ?それに状況が状況だけに、何とも言えない…。
リオンが殆ど手を出さない中、目についた魔物を倒していく。
近くの魔物は弱いものが多い。肩慣らしにはちょうど良かった。
やはり、一体一体、確実に倒していくと、まだ何か出来ている自分が誇らしくなる。なんやかんやで国民の役に立てているし。体を動かせるのもいい。
魔物の攻撃を剣で防ぐと、カウンターとばかりに剣を魔物の体に突らぬかせる。魔物は消え、レンズに変わる。未だに魔物の屍が残らず、小さなレンズのみ地に残るのが不思議である。
だが、そういう後処理が無いのはいいことだ。
レンズ回収後、ふう、と息をつくとリオンに厳しい目線を向けられている事に気が付いた。…やはり、手を出さずに監視されている…。う、ううん…。次に集中しよう…。
「ナマエくん、やればできる子なんだねえ!見ていて爽快だよ。剣の人も褒めてるよ」
ホッシのやればできる子発言に言い返してやりたい所だが、リオンのいる前では何も言えず…。シャルも褒めているようだ。そういえば昔もリオンが通訳してくれたっけ。リオンと一緒になって剣の稽古をしている中でリオンが言うに、アドバイスをくれたり、褒めてくれたり…。
「おい」
ぼうっとしていたら、声をかけられた。盛大に飛び上がると、すみません!!と頭を下げる。
「次の魔物を探します…!」
叱られる前に魔物を探しに速足で逃げ出した。
「…何か言いそうだったけどねえ」
距離をとった所でホッシがリオンの方を振り返って声をかけてきた。この距離なら、と小声で会話を交わす。
「あぁ、怒られそうだった…。危なかった…」
「そういうんじゃなくて、…まあいいや」
**
何事もなく指定された時間内での掃討を終え、城への帰路につく。リオンの後ろをついて歩けば、同僚に話しかけられた。リオンがいる中でも話しかけてくる人といえば…。
「久しぶりだな、ナマエ」
「ジョブス…うん、久しぶり」
「見ない内に客員剣士サマの補佐に昇進したんだなー、良かったじゃねえか」
帰る一群の空気が鋭利になったと思う。今、私語をするとリオンが怒るかもしれないから。それも厭わずに話しかけてくれるのがジョブスという男だ。
フランクな口ぶりで話し掛けてくれる、面倒見のいい兄のような人。気軽に話し掛けてくれるが、そこまで親しいわけではない。たまに話す程度。
でも、彼がいると気が楽になる。誰とでも分け隔てなく接してくれるムードメーカーの彼に、周囲とあんまり馴染めなかった俺はかなり助けられたように思う。
好奇心旺盛なクマノミが彼に寄っていく。他の魚もそれにつられていく。
「…うん、ありがとう」
「…お前くらいの腕ならもっと上の役職ついても良いと思ってたからな。頼りにしてるぜ!」
「え?」
面と向かって褒められた。彼から滅多に聞いたことのない、認めるような言葉に面食らう。
「二度は言わねーぞ」
「なんだか…嬉しいな。ありがとう」
急な出世に訝しげな視線をみんなから向けられている気がしたけれど、ジョブスは俺を認めてくれている、のかな。むずむずする。魚達がジョブスの周りをぐるぐる泳ぐ。
お前の出世祝いに、また飲みにいくか!と肩を組まれる。一瞬背筋がぞっとした。スキンシップが嫌だからじゃなくて、そういえば飲んだ後にやったなあ、という事を思い出して。
歩きながらもリオンがこちらを伺うように見ている。ジョブスも視線に気づいた。
「なんだ?客員剣士サマも一緒に行きたいのか?」
震えあがる一行。ジョブスは臆することなく、堂々としていた。それが彼の良さだと分かってはいるが、変に刺激してほしくはなかった。
しかし、かえってきた答えは意外なものだった。
「……そいつが行くなら」
「ええ!?」
「…驚いた、ナマエのこと気に入ってんだな」
監視!ひたむきに監視するつもりだ!…これ、絶対、俺から離れるなってマリアンに言われてる感じだな…。飲みなんて確実に行きたくなさそうなのに…。
「だ、大丈夫ですよ、リオン様、無理しなくても…。…ジョブスも、お祝いなんていいから」
「そうか?」
「僕は無理していると言ったか?」
ジョブスはあっさり引きそうなのに、リオンが食って掛かってきた!!言い方が悪かったか…。
「えっと、すみません…言ってないです…。でもあの」
「僕は今までずっと自分の判断で行動している。…それを忘れるな」
「……すみません」
「おいおい、なんでナマエに謝らせるんだよ」
「お前は黙ってろ」
ジョブスがため息をついた。目が合い、謝るつもりで少し頭を下げると、ジョブスは頭を振った。気にすること無い、か。
しかし、自分の判断で行動している、って。…マリアンに言われて監視してないって事かな…。…しかしまた、こんな言葉を聞くことになるとは。
ホッシが爆笑している。このヒトデ…。肩を払うつもりで跳ね除けようとしても行動を読まれているのか、うまい具合に跳ねて躱している。
……城について解散するまで、俺たちはお通夜状態であった。
日も暮れてきて、帰り支度をする。リオンのいる執務室のギスギスした空気がとれることはなかった。…俺たちの関係もちょっとは変わるかな、って期待したけど。任務に出れる事になった以外は特に何も変わらなかった。
自分で行動しているといっても、自分の気持ちのまま行動している訳ではないだろう。本当は俺なんてどうなったっていい。
それなのに、監視しなければならない状況、雰囲気、立場、…リオンの中で打算した結果そうなっただけだ。
任務に出てもいいって言ったのは、後々、それくらいは働かせたかったからかもしれない。
…やっぱり、任務中に死んでしまった方が後腐れないんじゃないか?そっちの方がリオンにも迷惑がかからないし、別に関係ないだろうし。
でも、俺に死なれたら夢見が悪いと言った、あの時のリオンの顔が頭に浮かんだ。
…暫くは、やめておこう。
決意をすぐに揺らがす。思い切りの悪さに溜息をつきながら、仄かに生まれた感情を持て余した。期待しても裏切られるだけなのに。