それからというもの、少年はリオンに接することを避けていった。早くここから出て、一人で生きよう。拾ってもらった恩はあるから、たまに使用人の都合で、空きが出来た時だけ手伝って…、それ以外は城で兵士として過ごすしかない。
自分にできることって、それくらいしかない。
そうやって必死に生きるために考えた事を実行していったけれど、結局はリオンから逃げただけだった。
…それなのに、暫くしてリオンの指揮下の部隊に配属されてしまった。自分より年下であるリオンが着々と自分の地位を築いていた。リオンには何も言わず飛び出したにも等しいので、部隊内では何も話せる事はなかったし、気まずかった。自分の蒔いた種で苦しみながら、同期から置いてけぼりにされていき、ずっと、リオンの殺伐とした雰囲気の部隊で剣を振るう自分。自然と劣等感にさいなまれていった。
そして酔った勢いで、自分から、全てから逃げ出そうとした。
「つらいよな、俺」
海の底を覗き込む少年。ここから見ると輪郭はぼやけているが、今にも泣き出しそうなそれは自分だった。
いいんだよ。ここに飛び込んでも。
振り返れば辛い思いをしたと、思う。でも、これからどうやって生きていくのかはまだわからない。明確な答えをあげられたらいいのに。
答えは分からないし、みつかる気もしなかった。希望が持てない。あの時リオンに見つからなければ良かったんじゃと今でも思ってしまう。
「僕は君と生きたいんだけどなあ」
ホッシがいつのまにか側にいた。
「みてたよ、みてた。君のかなしい記憶」
「…それでも生きる理由がわかないんだけど」
「生まれてきたんだから、楽しく生きたいに決まってるじゃんか。自分で死を選びたくなんか無かったはずだよ」
そりゃそうかもだけど、と口ごもれば。
「僕は知っているんだ、君のつらい思いと共に、楽しかった事や嬉しかった事も…」
海中に浮かぶ暖かな色。エミリオを育てた思い出。幼いエミリオを連れて、庭を歩いた。花の名、虫の名も分からなかったから、自分で図鑑で調べて教えた。シャルの声は聞こえなかったけど、誰かと一緒に見守ってるような気持ちでいた。
エミリオは剣術や学業に励むようになる。俺も時々参加しながら彼の成長を日に日に感じていた。
そんな中、エミリオの亡きお母さんに似ている年上の少女がメイドとして屋敷で働きだす。
お姉さんのような彼女に、同じ使用人でありながら甘えてしまう俺とエミリオ。一緒にお茶をして、笑っておしゃべりした。楽しかった。それなのに。
どうして、こんな悲しいことになったんだろう。エミリオを失っても生きていけると思ったのに、一人じゃダメだったのかな。俺が、ちゃんと話し合わなかったから?
「君がどんな道を選ぼうと、僕達は一緒だよ」
子供のように泣きじゃくる俺にひやりと冷たく心地いい感触が頬に張り付いた。ホッシ、かな。
「なるようになるさ。今まで生きてきたんだもの」
「ホッシ…?」
感触を確かめるように頬をすりつけると、息を詰める気配が感じられた。感触も、びくりと震える。
「え…?」
「ッ…!!」
「エミ、リオ…?」
目を開けると潤んだ視界に、驚いた顔のエミリオが現れた。ぼろぼろと温かいものが顔を伝っていく。離れていく手にすがった。
「行かないで!!」
「…!」
「…側に、いて…」
その言葉に従ってくれたのか、エミリオは視線を落としながらも手を差し出したまま、その場にいてくれた。
どうしてここにいるの?どうして頰に手を当ててくれていたの?混乱する中でも、今手を握ってくれている感触だけを感じていたかった。それだけは本当だと信じていたかった。
「昔から…そうだったな」
静かな部屋にぽつりと蝋燭に火が灯るような呟きだった。エミリオの口ぶりは、昔を懐かしんでいるような、噛みしめるようなものだった。
「昔から、お前は泣いてばかり」
「…ごめん」
「すぐに謝るな」
ぶっきらぼうだが、暖かな色を感じる声に自然と言葉を返すことができた。先程まで夢の中で笑いあえていたからだろうか。
その内、なおも流れ続ける涙を眺めるエミリオと視線が合わさる。
「どうして、ここに?」
「…様子を見にきたからだ。ノックしても返事がなかったから、また変な気でも起こさないか…気になって」
「…ごめ…」
心配されている。夢の続きでも見ているよう。…今なら謝れる。
「ごめんな、エミリオ。心配してくれてるなら、ありがとう。…ずっとお前と向き合えなくて、ごめん…」
年上なのに。情けなく泣いてばかり。エミリオは歳を重ねるにつれ、歳相応の涙すら見せなくなったというのに。
あたたかなものに触れ、溶けるように感情を吐露した。
「違う。向き合えなかったのは、僕だ…」
震える声。長い間、聞いてこなかった声。
「僕は僕の思うように今まで行動してきた。お前の気持ちを考えていれば、お前は思い悩まずに済んでいただろう…」
「エミリオ…?」
エミリオは握りしめる手を強くさせた。
「僕は、離れていくお前を手放すまいと、僕の部隊に置いたんだ。本来なら近衛兵長にでもなれる腕なのに、お前を危険な目に合わせたくないから、ずっと、…縛り付けてたんだ。…すまなかった」
かえってそれが、お前を苦しめていたんだろう。分かっていたのに、僕は。言葉を詰まらせるエミリオ。今まで何も理解しようとしないまま自分のことだけを考え嘆いてきた。エミリオの告白に、怒りは生まれなかった。
これ以上困らせたくないと、自分の胸に彼を招いていた。
「もういい。いいよ。いま分かったからいいんだよ。…お前はあの頃と変わらなかったんだな、不器用で、優しい子」
「…ナマエ」
「お互い、言葉が足らなかったんだ。それでいいんだ」
俺の胸の中で、エミリオは体重をかける。体を預けてくれている。
✳︎✳︎
「二人とも、仲直りできたのね」
「うん、なんとか」
「ちゃんと話しあえばなんとかなるって分かっていたわ」
マリアンにはすべてお見通しだなあ。淹れてくれたお茶がより美味しく感じる。
二人して非番をもらい、ヒューゴ邸のダイニングでお菓子をつまみながらエミリオと向き合う。
今まで流されてきたかもしれない。でも、少しは自分で動いたかもしれない。その結果、きちんと二人で話せる場にたどり着けた。…正直、こうなるとは思わなかった。
自分のことしか見えていなかった。
俺が保身に走る間、エミリオは自身の生き方を否定されたのに、離れていった俺のことを守ろうとしてくれた。
俺はそれを知らずに悩み苦しんだ。
それでも、エミリオの考えを知り、昔となにも変わらない彼に、自分の至らなさを恥じるばかりだ。
俺も恩に報いる時がきたのだろう。
目の前の彼に決意を告げる。
「誓うよ、エミリオ。俺は貴方のそばで貴方を支えるよ」
もう、魚たちは見えなくなっていた。
✳︎✳︎
穏やかな顔で、お前は僕の一番ほしい言葉をくれた。
お前を縛り付けてでも、そばに置きたかった。
僕のしたこと全てがお前を追い詰めたというのにお前は僕を支えるというんだな。
もう自由になってくれても構わないのに、むしろお前はみずからの意思で、僕の思い通りの身の振り方をしてしまった。
そう言われてしまったら、もう、離す気はないだろう。
「ありがとう、ナマエ」
「そんな、ふふ」
「…やっと笑った顔がみれた」
何年かぶりに見た笑顔は、少し大人びて見えた。
「そんなに、笑ってなかったかな」
「僕の前ではな」
「あは、…これからは、たくさん笑うよ、きっと」
「だと、いいがな」
柔らかな日差しが降り注ぐ中、笑い声が響いていく。