感化される

 早朝に剣の訓練をする事を告げられていた。昨日のように目覚めが良く、スムーズに起きることが出来た。動きやすい服に着替えると、短剣をベルトにさし、購入した盾を持って玄関を出る。いい天気だ。うんと体を伸ばして庭へ向かう。リオン君が既にシャルティエさんを抜いて佇んでいた。シャルティエさんと会話していたようだが、私に気付いたのか、すぐさま振り向かれる。それにこちらが驚いてしまった。気配が分かるのだろうか。挨拶をすると、元気の良い『おはよう!』が返ってきた。リオン君も口を動かしたが、シャルティエさんの声にかき消されてしまった。

「今日はお手柔らかにお願いするね」
「は、僕に優しくしろと?」
「出来ればそうお願いしたいな!」
『が、頑張れ!坊ちゃんもソフトに教えるんですよ!』

 スパルタだろうな、という予想が出来ていたが、開始する前から厳しく指導する雰囲気を出されてしまうとは。リオン君が相手だからそこまで怖くはないけれど、思わず盾を持つ手に力がこもる。

「剣と盾を構えろ」
「はい…。えっと、どうやって盾を付けたらいいの?」

 深いため息をつかれると、盾を引ったくられる。腕を引っ張られ、リオン君が手ずから盾を装着してくれた。裏側の、皮の部分に腕を引っ掛けて、取手を持つのか。こうやって固定できるものなんだなあ、と腕ごと盾を振り回してみた。

「ありがとう!で、構えると」

 利き手で剣を構えて、盾の表面をリオン君に向ける。すると、リオン君も私から距離を取り、シャルティエさんを構えたではないか。それを見て、ぎょっとする。まさか、剥き身の剣で実戦するつもりか。そのまさかである。
 リオン君は地面を蹴ると、私の構える盾に向かって剣を切りつけた。重い衝撃に姿勢が崩れ、悲鳴のような声が漏れる。反射的に短剣を振るも、難なく避けられてしまった。足を踏ん張って倒れるのを防いだ時にはリオン君が再び距離をとっていた。こちらを見つめている。今度はこっちから行った方が良さそうだ。彼の鋭い目がそう語っている。
 へっぴり腰になりながらも、リオン君へ向かって斬りかかる。シャルティエさんで短剣を受け止められ、二人同時に距離を取る。今度は剣を突くようにリオン君の脇のあたりを狙う。体をひらりと捻られマントだけを突くような形になった。勢いをつけすぎて前に倒れこみそうになる。二、三歩よろけてから、振り返った。シャルティエさんを真っ直ぐに掲げ、私の攻撃を待つリオン君。真剣な表情だ。ふいにリオン君の向こうの花園が歪む。どこか暗い、ゴツゴツした岩場に変わった。何度か瞬きをして、元の景色に戻ったのに大きく息をついた。

「どうした?」
「あ、いや…ちょっと目眩がして?」
「無理するなよ」
「大丈夫!まだいけるよ!」

 再び短剣を構えた私に、リオン君が満足そうに頷いた。

✳︎✳︎✳︎

 マリアンさんが私達を呼びに来る頃には、私は庭に座り込んでいた。土で汚れるのも構わない。だって、立つのがしんどい。肩で息をして、汗もだくだく。そんな私とは対照的に、汗ひとつかかず、マリアンさんに爽やかな笑みを浮かべながらタオルを受け取るリオン君。私だけ無駄に動いていたのは分かるが、この差はいかに。

「リオン様、教えるにしたって、厳しくしすぎじゃないかしら…」

 マリアンさんは私の様子に引き気味である。タオルをかけてくれた後、急いで水も持ってきてくれた。コップを手に取ると、一気にあおって、大きく息を吐いた。何故か土の味がする乾いた口内が一気に喉ごと潤った。
 先程からマリアンさんにいさめられているリオン君を、やっと庇う事が出来る。リオン君はバツが悪そうに「これでも甘くしたつもりだ」と言っていたので、多少手は抜いてくれたらしい。

「マリアンさん、私なら大丈夫なので、…大丈夫です」

 こんな事を言いながらも、身体中のいろんな筋肉が悲鳴をあげている。思考も疲れで鈍っているせいか、語彙力のない言葉が咄嗟に出てきてしまった。

「本当…?でも、辛そうな顔をしているわ…」
「ま、まあ…疲れはしましたが、得るものはたくさんありましたから平気です!ありがとうねリオン君」

 剣を交える緊張感。必死にくらいつく事でどう相手と渡り合うのかも知ることができた。礼を伝えると、リオン君はぴたりと動きを止めた。

「……お前には剣を振るう事にいらん躊躇いがない。ある程度は筋もいいから引き受けたんだ。礼はいい」

 唐突に褒められた。不意打ちにも程があるので、受け止める覚悟ができていなかった。まともに賞賛を受け、目が潤む。マリアンさんも驚きで口元を手で覆っている。

「リオン君…!」
「リオン様…!」
『坊ちゃん…!』

 リオン君の言葉に、この場にいる面々が感動してしまった。リオン君は私たちの反応にたじろくと、顔を赤くして「今日はこれで終わりだ!」とそそくさと屋敷へ戻っていった。

「まさかリオン君から褒められる日が来るとは」

 思った事を呟けば、マリアンさんは慈しむような笑みを見せる。

「あなたのおかげよ。リオン様もお友達の影響を受けているんだわ」
「そうでしょうか…?」
「一生懸命だもの。何事にも全力で向き合う姿に、あの子も感化されているのよ」
「あ、ありがとうございます…」

 だったらいいな。曖昧に微笑んでおくと、マリアンさんはにこにこしながら私のタオルやコップを回収していく。「すみません、ありがとうございます」と咄嗟に伝える。

「いいえ。さ、もう少ししたら朝食にしましょうか!シャワーを浴びてからでも大丈夫ですからね」

 お言葉に甘えてシャワーを浴びてから朝食へ向かう。ダイニングには既にマリアンさんが控えているし、先に座っていたリオン君も私が席に着くと食事をとり始めた。テーブルの料理を目にすると「美味しそう!」と口に出ていた。今日の主食は白米。ネギと豆腐の入ったほかほかの味噌汁に甘じょっぱい卵焼き、焼いた青魚の香ばしい香りが広がる。
 箸で魚をほぐしながらリオンくんに話しかける。

「今日も資料室へ行ってくるね。明日でもお城で勤務するなら資料室に寄ってみてよ。すごい片付いてると思うから」
『…ほら、坊ちゃあん』
「ん?どうしたの」

 シャルティエさんがリオン君に何か話すように急かしたてる。リオン君の言葉を待つ事しばらく。

「……資料室の整理だが、お前がどうしてもと言うなら手伝ってやらんこともない」
「ええっ本当!?」

 卵焼きをつつきながら放たれた言葉に、思い切りのけぞった。「騒々しいぞ」と睨まれ、とっさに口を手で塞ぐ。リオン君が優しい。向かいのマリアンさんも嬉しそうに微笑んでいる。それを見たら、先ほど彼女からかけられた言葉が頭の中に浮かんだ。彼女の言う通り、友達のような存在になれたのだろうか。

「ありがとう、リオン君。お願いするね」
「…ふん」
『君が資料室で頑張ってるのを見て決めたんだよ。さっきから話を切り出そうとしてたけど、そういうのに慣れてなくてなかなか…』
「シャル、お前を置いていってもいいんだが」
『すみません、置いてかないで下さいぼっちゃあん!』

 リオン君の静かな怒りほど怖いものはない、というのも知る事が出来た。わあリオン君可愛いなあ、とは絶対言わない。絶交されちゃう!

「資料室が開く頃に行こっか。きっと司書さんも喜ぶよ」

 朝食を食べる時間もより楽しい。気持ちも浮ついて、食事中にも関わらずリオン君にたくさん喋りかけてしまった。「資料室の本って難しそうなものばかりじゃないんだね」「オススメしてもらった本もわかりやすくて、じっくり読むのが楽しみ」「リオン君は本をよく読んでるの?」(これに返ってきた答えは「戦術書」だった。日々、勉強しているのが分かる)リオン君はタイミングよく相槌をうってくれる。彼から「にやにやしすぎだ」と言われるほどには、調子に乗っている私。
 いつのまにか朝食を食べ終えてしまった。ごちそうさまをした後、「十時に屋敷を発つぞ」と言葉を残してリオン君がダイニングを去っていく。
 十時まで何をしようか。稽古の疲れは残っているが、食べたばかりに寝るのは良くない。ちょっとだけマリアンさんを手伝おうかな、と食器をシンクに運びにいく。マリアンさんは既にリオン君の食器を運び終えた所で、自分の食器を運んで来た私を見て、「あら、ありがとう」とお礼を言ってくれた。私が食器をシンクの中に置くと、マリアンさんはシンクに向き合い、スポンジを手に取る。

「私、食器を拭くの手伝いますよ」
「ありがとう…でも、疲れていない?大丈夫?」
「大丈夫です」
「なら…お願いしてもいいかしら?」

これで食器を拭いてね、と渡されたふきんを使って、洗った後、食器カゴにいれられた皿を拭いていく。

「この後、一緒に資料室の片付けにいくのね」
「そうなんです。楽しみだなあ。きっと二人でやればすぐに終わると思います」
「えぇ、そうよね。お城の資料室ってなかなか行ったことが無かったのだけど、お休みの日にでものぞいてみようかしら」
「ぜひぜひ!」

 マリアンさんもいつか見に来てくれるなら、本の分類が分かりやすくなる工夫がもう少しできないかな、と考える。本棚に分類の表示を貼るのも良いし、オススメの本コーナーも作ることができたら面白いかもしれない。後で画用紙やペンがあるかマリアンさんに聞いてみよう。
 食器を拭き終え、マリアンさんの指示で、戸棚にしまい終えた。「まだ時間があるならダイニングで待っていてくれる?」と聞かれたので、大丈夫ですよ、と返してダイニングに戻り、自分の席に腰かけた。大きな長机に、席もいくつもあるからか、こうして一人で座ると寂しく感じる。私が来る前まで、リオン君は誰かと一緒にご飯を食べていたのだろうか。ヒューゴさんとだろうか?想像してみるも、自分の上司とご飯を食べるのは肩身が狭そうだ。
 しばらくして、マリアンさんがティーセットをおぼんに乗せて、ダイニングに入って来た。ポットからカップに紅茶を注ぐ。花のようないい香りが部屋を包んでいく。「少しは疲れが取れたらいいのだけど」という言葉とともに、カップを目の前に置いてくれた。ありがたい事を言ってくれる。「いただきます」と何回か息をふきつけてから、紅茶を啜る。体の中心からじんわりと手足へ向かい暖かさが伝わっていく。

「それと、朝食の残りだけど、おにぎりを作ったの。良かったらリオン様とお昼に食べてちょうだい」

 再びダイニングを出て、戻ってきたマリアンさん。今度は風呂敷を手にしていた。雰囲気が出ている。「何から何までありがとうございます」と感謝の気持ちを伝える。

「いいえ、私こそ感謝したいくらい。あの子達のそばに居てくれて、ありがとう」

 純粋な思いを感じる。部屋に漂う花の香り、用意された美味しい紅茶。そこに綺麗な言葉も加わり、この空間を彩っていく。何かしたつもりがない私はここにいていいのか、と場違いに思えた。でも、ここにいたいから出来る事をやっていこう。気持ちを前向きに、邪念を振り払う。この際だから、とマリアンさんに画用紙の事を尋ねる。

「あの、マリアンさん」
「何かしら?」
「使ってなかったり、余ってる画用紙とペンってありませんか…?資料室の本の分類分けにちょっと使いたくって」

 マリアンさんはしばらく考えるように上の方を見ていたが、何か思い出したように手を合わせた。

「あぁ、私の部屋にあるかもしれない。そうだわ、一緒に来てもらってもいい?」
「ありがとうございます!大丈夫です。ついてきます」

 マリアンさんの部屋は屋敷の二階のすみにある。住み込みで働くぐらいだ。屋敷での暮らしはマリアンさんをはじめ、メイドさんたちによって支えられている。ダイニングを出て、玄関に隣接したリビングから階段を登る。

「ここで働き始めたのが、十五歳の時なの。…リオン様が七歳の頃ね」

 働き始めるのが早い年齢だ、などと思い浮かべながら、階段を登り終え、一番突き当たりの部屋へ。マリアンさんが扉を開け、部屋の中に入るも、続けて行くのに気後れしてしまう。そんな私に気付いた彼女は、やさしく手招きした。それに甘えて「じゃあ、失礼します」と遠慮なく部屋へ入る。すぐにガラス窓の飾り棚が目を引いた。中にはたくさんのトロフィーが並んでいる。壁に貼られた額縁の中の絵画も部屋を彩っている。

「マリアンさん、何か賞でも取られたんですか?」

 壁に面した収納スペースを開けるマリアンさんが、こちらを振り返る。

「リオン様が剣術大会で優勝してとられたトロフィーよ」
「え、リオン君の?それがこんなに!」
「えぇ、……リオン様ったら、自分で勝ち取ったものなのに、必要ないからって捨てようとするのよ。だから私が貰って、飾っているの」

 トロフィーがいらないから捨てる。こうもたくさん受け取ると、そういう気持ちになるのだろうか。部屋の中でかさばるし、置く場所に困るのは分かる。案外、自分が強い事を誇示したくないのかも?リオン君の考えそうな事を思案している間に、マリアンさんは分厚いスケッチブックを取り出していた。

「ここに飾ってある絵も彼が書いたものよ」
「えー!多才じゃないですか」

どうみてもどこかの画家が描いた絵画にしか見えない…。

「絵画やピアノ、ヴァイオリンのコンクールで優勝された際のトロフィーも中に入っているわね」
「ええー…神は二物以上与えすぎじゃないですか…」
「そう思うわよね。でも、彼は必死に努力して技量を身につけたの」

 決してリオン君自身の才能ではない、とマリアンさんはいう。スケッチブックを手渡してくれた。中身をぱらぱらとめくってみると、庭の景色やシャルティエさんがデッサンされていた。

「これって」
「えぇ、リオン様が幼い頃に書かれていたの。…これも捨てられそうになっていたから、私が引き取ったのよ」

 最初の内は子供が書いた割には上手い、といった絵であるが、ページをめくるたびにさらに上達していくのが分かる。庭に咲く薔薇の花。餌を食べる小鳥。昼寝している猫。

「使うのが恐れ多いな、いいんですか?」
「えぇ、使ってもらえるのが一番よ」
「ありがとうございます。リオン君にも見せてあげよ」
「…どう思うかしら?」
「どうなんでしょうね?」

 その後、ペンやはさみなど文房具のセット、スケッチブックを収納できる布カバンも用意してくれた。
 再びダイニングに戻り、紅茶を飲み終え、おにぎりもカバンに詰めた。お茶を片付けるから、とマリアンさんに見送られ、玄関へ向かう。まだリオン君はいない。リビングを眺めていると、ニ階から扉を開ける音がした。リオン君が自室から出てきたのに、私は顔を向ける。王子様ルックにはだいぶ見慣れたつもりだと思っていたけれど、彼が階段を降りるだけで、舞台の俳優のように見えてしまう。

『お待たせ』
「いいえ、じゃあ行こっか」
『大荷物だね』
「資料室を分かりやすくする為に、マリアンさんに用意して貰ったんです」

 マリアンさんのお茶のおかげか、疲れもまま取れていた。城までの道中、昼食のおにぎりの事を伝えておく。

「この辺で食べれる所ってあるっけ?さすがにお城の中じゃ無理かな…?」
「…いや、当てはある」
『あの場所ですね』

 どこなの?と聞いてみるも、『行ってからのお楽しみ!』とシャルティエさんが言うので、わくわくしながらも追及しないことにした。
 お城につき、資料室へ真っ先に向かうと司書さんが杖をつきながら片手で本の整理を進めていた。慌てて駆け寄る。

「早いね、おはよう」
「司書さん、無理しないでください。大丈夫ですか?」

 近くの椅子を引いて司書さんに座るよう促した。よろよろと座る様子を見て、早くに来て良かったと息をつく。

「すまんね、少し片付けようと思ったが…」
「適材適所っていうじゃないですか。司書さんは司書さんの出来る事をして頂かないと!」

 本の分類分けも、本のスペシャリストである司書さんだからできる大切な仕事だ。

「今日は助っ人もお呼びしてるんですよ」

 腕を組んで私達の様子を見つめていたリオン君を紹介する。

「リオン様が?なんとまあ、ありがとうございます」
「ふん」
「まあまあ。さて、昨日の続きから始めましょうか」

 リオン君に簡単に手順を伝えると、途中にしていた本を棚にタイトル順に戻す作業をお願いする。私は次の棚の本を顔のあたりまで積んで、司書さんの元に運ぼうとした。

「…貸せ、僕が運ぶ」
『坊ちゃんてば、格好いい!』
「いいの?……じゃあ司書さんのところまでお願いします。ありがとう!」

 両手を差し出すリオン君。少し迷った後、山積みの本を渡す。私とは違い、フラフラする事なく運んでいく姿に感心してしまった。担当する棚を交換したことになるのだろう。私はリオン君に頼んでいた作業をする事にした。
 その後も力仕事に名乗りを上げてくれたので、本の移動をメインに分類し終えた本を棚に並べる作業もお願いした。私は本をひたすら陳列する人になった訳だ。先にやっていた分、大分コツもつかんできた。本を棚に押し込んでいくリオン君にアドバイスする事ができた。