振り回される気持ち

 なにか食べられる気持ちになれず、夕食を抜くことにした。今日は私が料理当番の日だった。理は自分で何か作って、もう食べ終わっているのかな。ベッドに寝転がりながら理はどうしているのか思い浮かべるも、足をばたばたすることで打ち消していく。
 恋とは、愛とはなんだ。理緒は幼馴染の友近君とのことで悩んでいた。恋に翻弄される彼女が、可愛らしいなあ、なんて思っていたけど、かなり根深い問題だったことがやっと分かった。比べてはいけないのだろうが、こちらは「義理の姉弟」というステータスがくっついてさらに訳が分からない。
 今まで弟としてしか見ていなかった存在から告白された。小さい頃から仲が良かった男の子。事故にあって、一人になり、心を閉ざしてしまう。彼の力になりたいと親にかけ合い、家族になった。
 月光館学園への転入の話がきて、理に是非転入してほしいと勧める両親。自分たちに懐かない理を一人で、理のご両親が事故にあった地に追いやろうとした。彼らへの反発もあり、理についていくことに決めた。
 影時間の存在を知り、ゆかりちゃん、桐条先輩、真田先輩、順平君や風花ちゃんたちと知り合う。一緒に戦って、色々あったけれど、今は順風満帆、だったのに。
 好きだと言われてどう対応すればいいのか分からない。混乱している間に話が終わり、「気持ちを知って欲しかっただけ」と言っていたが、このまま普通に過ごしていいのか?でも絶対ぎこちなくなる。私からも何か反応を返した方がいいけれど、返事を断ったらきっと理が離れていく。
 どう足掻いても笑い合っていた関係が壊れ、お互いにぎくしゃくする未来しか見えない。それが一番怖かった。
 ネットのお悩み相談なんて見ても、同じような状況の人なんていないし、こんなこと誰にも相談できない。寝返りを打ってはああ、とため息をついていると、ノック音が響く。慌てて「はあい」と返事をするも、ドアを開けたくなかった。部屋の向こうからあまり聞きなれない声がする。
「ナマエさん、こんばんはであります」
「ええと、アイギス…ちゃん?」
 声の主は屋久島にて特別課外活動部の仲間になったアイギスちゃんだった。対シャドウ用の兵器だと説明されたが、人型だし、喋ってくれることからあまりそうは思えない。
「夕食をとられていない様子なので、声をかけに来ました」
「あ…ありがとう、アイギスちゃん」
「いいえ。理さんの大切であるナマエさんは、私にとっても大切ですから」
 気遣ってくれている…と感動していると、突然理の名前が出て心臓が跳ね上がる。そういえば、アイギスちゃんは理を「大切」だと言っていた。いや、「傍にいることが大切」なんだっけ。そんなアイギスちゃんに理は何を吹き込んだのか、私まで保護対象になってしまった。…私は理の「大切」か。
 苦笑いしながら「そっか、でも今日はもうご飯はいいかな。あんまり食べ」と言いかけるも、何やらドアからカチャカチャと音が鳴っている。思わず飛び起き、掛け布団を自分の身に寄せた。
「開錠成功であります」
「ええー!?」
 ドアが開く音。アイギスちゃんには鍵開け機能も搭載されていたようだ。電気を消して寝ていたせいか、明かりのついた廊下がまぶしく、顔の前に手をかざす。無機質な表情のアイギスちゃん、長い影がこちらまで伸びているのを見て身震いした。ホラー映画顔負けである。
「人間に食事は必要不可欠だと理さんから聞いています。ダイニングへ向かいましょう」
 そのまま部屋に入ってくると、ベッドに縮こまる私の前に立ちふさがった。震えながら、アイギスちゃんの言葉に耳を疑う。もしや、理の差し金では。そう問う間もなく、浮遊感に襲われる。あっという間にアイギスちゃんに抱き上げられていた。お姫様抱っこ状態である。
「ええ!?ちょ、待って!?」
 帰ってきてそのまま、スカートのプリーツが乱れることも構わず制服姿で寝ていた私。下半身を見ると、スカートごと抱えられていたので、下着が露になっておらず、ほっとした。いや、ほっとしている場合ではない。
 抱き抱えられたまま階段へ向かう。下手に抵抗したら落下してしまうかもしれないので、大人しく彼女の冷たい腕の中に収まる。
 お姫様抱っこをしたまま階段を降りていくアイギスちゃん。テーブルで夕食を食べていたり、ラウンジでくつろいでいる面々に注目され、恥ずかしさから顔を手で覆う。
 ダイニングテーブルまで辿り着くと、やっと降ろされた。
「なんで抱っこ?」
「夕食抜いたのを心配してくれて、ここまで連れてきてくれたみたい~…」
 ラウンジでテレビを見ていたゆかりちゃんがジト目になる。慌てて弁解しておく。
「あ、あとなんで制服?」
「えーと、疲れてそのまま寝てて~…」
 カップラーメンを食べていた順平君も手をあげ質問。疲労を感じながらも、笑顔を作って対応していると、理がキッチンから料理を持って出てきた。こちらに向かってくる。どんな顔を向ければいいのか分からない。すぐに視線を逸らした。
「任務完了であります」
「ありがとう、アイギス」
 アイギスちゃんが理に向かい敬礼をしている。やっぱりグルだった。勿論、アイギスちゃんに罪はない。
 理は素知らぬ顔で私の前に来て、オムライス、トマトスープ、スプーンをテーブルに置いて、すぐキッチンの方へ戻っていった。
 アイギスちゃんも用が済んだとばかりに定位置なのかテレビのそばに戻っていく。
 料理と共に残されてしまった。初めて作った頃よりもうんと形の良いオムライスを眺める。私の分も作っていたのか…。蝋燭が灯るように、少しだけ胸が暖まる感じがしたが、すぐ、理は平気そうなのに、私だけ悩んで、振り回されている感じがして、嫌だと思った。やっぱり、姉らしくない。…こんな時でもやはり、自分は理の姉だと思ったままだ。自嘲したような笑みが溢れる。
「お前ら喧嘩でもしたのかよ」
 順平君がラーメンをすすりながら声をかけてくれた。声のボリュームを落としているのに、気を遣われていることが分かる。それに、力なく横に首を振った。
「じゃあ食べてやれば?」
「…ん」
「なんか、意地になってねえ?ナマエらしくねーぞ?」
「な、なってないよ。ありがとね…」
「お礼なら理に言えよ?」
 順平君が気にかけてくれたおかげで、折角用意してくれたんだから料理は食べないとな、という気持ちになれた。食欲はあまりないが、お腹は空いている。どうしても食べきれなかったらラップをして冷蔵庫にいれよう。
 席に座って、スプーンを手にする。オムライスを一口分すくって、口に入れた。…おいしい。声には出さないものの、ほかほか、温かくて優しい味付けに、蓋をしていた感情がぽとりと落ちて、染みわたっていく。
 告白されて、どうしたらいいのか分からない、「怖い」ばかりだったけれど、根っこの部分はやっぱり理のことが大切なんだ。これまでずっと、一緒に過ごしてきたんだから、今まで通りに笑って過ごしたい。甘い考えかもしれないが、それだけは理に伝えたい。
 理は、私にとって「家族」だから、恋愛的に好きとか、好きじゃないとか、答えられなくていいんじゃないか。
 そう思うと気分が楽になった。悩んでいたことが少しは解決したような気がする。それに、気持ちが言語化されたことで、早くこの気持ちを伝えたい!と勢いが生じ、オムライス、トマトスープをたいらげることが出来た。空になった食器を持って、いざキッチンへ。理はラウンジにおらず、階段を登る音もしなかったことから、キッチンで片付けをしているはず。
「なんか吹っ切れたっぽいな。良かったじゃん」
 既にラーメンを食べ終え、漫画雑誌を手にしていた順平君。その言葉に、さっきよりうまく笑い返せていた。
 そうっとキッチンを覗くと、理が洗い終えた食器を拭いているのが見えた。
「理…」
 声をかけたタイミングで理が皿を取り落とす。床に落ちる、木製のお茶碗。…陶器じゃなくて良かった。こちらに転がってきた茶碗をしゃがんで手に取った。
「…ごめん」
 謝る理。今度は視線を逸らさずに、見つめられる。
「いや、驚かせちゃったよね…。こっちこそごめん」
「別にいい」
「私、これも一緒に洗うよ。理、お皿拭いてくれる?」
「…うん」
「ありがとう」
 動揺しているであろう理の横に立つ。食器を流し台に置くと、まだ泡のついたスポンジを手に取って、洗い物を始めた。理の手に触れないように、食器を持つ部分を最低限にしながら、洗い終えた皿を渡していく。
「あと、ご飯もありがとね、私の当番なのに作ってもらっちゃって。…アイギスちゃんをけしかけたのは、何とも言えないけど」
「……アイギス相手だったら情に訴えられるかなって思って」
 その言葉に、思わず食器を洗う手を止める。たしかに、じーんとはしたけれど、最終的には物理的な手段だった。
「部屋の鍵を外から開けてここまで連れ出してくれたけどね」
「……そうか」
 理がそっぽを向いて、ぷるぷる震え出した。
「いや、笑うとこじゃないでしょ…」
 食器洗いを再開し、平静を務めながらも頭の中でガッツポーズ。いつもみたいに話せている。日常的なやりとりの大切さを噛み締め、感動するも、理に伝えたいことがあるんだった、と思い出す。
「あのさ、これ終わったら、ちょっと外に出ない?」
 さすがに寮内で話すのは、はばかられる。そう提案すると、理は「分かった」と二つ返事で頷いた。
 洗い物を終え、寮の外に出ようとする。ゆかりちゃんが「どこ行くの?」と聞いてきた。「ちょっとそこまで」と言葉を濁すと、「私もお供します」とアイギスちゃんも付いていこうとこちらへ歩み寄ってくる。屋久島のように服を着ていない、そのロボなボディのままではまずい。ゆかりちゃんと共に慌てて、アイギスはここで待ってて!と説得し、やっとのことで再度、寮の扉の前に。理が先導して扉を開けていてくれるのにお礼を言い、玄関をくぐった。
 外は仄暗かった。夕焼けも沈んで、夜が更けていく。むしっとした外の空気に、今度は現実に戻るような感覚に陥った。告白された場所も外だったからか、余計に緊張してしまいそう。
「…用って、何」
 歩き始めた理についていく。いきなり本題に入られ、怖気づきそうになるが、負ける訳にはいかない。
「告白に対して、慌てふためいてちゃんと答えられなかったから、改めて、言いたいこと伝えたくって」
 返事はないが、私を見つめ、話を聞いてくれている。
「告白の返事だけど…多分、出来ないと思う」
「じゃあ、脈はあるってこと?」
「えっ!?わ、分かんないよ!そんなの!」
 声を荒げてしまった。慌てて口を手で抑える。近所迷惑になってしまう。落ち着いた所で抑えていた手を離して、ゆっくり喋った。
「…私、理のこと、やっぱり仲のいい弟としか見れない。でも、だからってもう喋らなくなるとか耐えられないと思うんだ。…これからも今まで通り過ごしたいんだけど…、駄目かな」
 すぐに返事はなかった。自分の告白をなかったことにする私をどう思うだろう…。自分のことばっかりで、理のことを考えてやれていなかった。沈黙が続くごとに、姉として、情けない気持ちになってくる。
「ナマエの気持ちを尊重する。姉弟のままでいたいなら、そうする」
 理のやっとの返事に、深く息を吐いてしまった。今までの関係が壊れないようにしてくれる。その言葉に肩の荷が下りた心地になるも、さっきまで感じていた自己嫌悪が襲いかかってきた。
 自分で言っておいてなんだが、理は恋心を抱えたまま、私といつものように接して辛くないか。そう聞いてみると、優しい笑みでこう返された。
「ナマエと一緒にいられない方が辛いから、別にいい」
 純粋な言葉に、胸がきゅうと痛んだ。咄嗟に謝ると、なんでナマエが謝るんだ、と理はずっと穏やかな笑みを浮かべていた。

**

 そんな苦くも温かいやりとりがあった翌日。理は寮に美女を招いていた。これには私も「えっ」と声を出さざるを得ない。
「頼もう!」
 美女は、道場破りのごとく玄関の扉を開け、訪ねてきた。コスプレしているのかと見紛う程、青を全面に押し出した衣装だが、寮に住まう美女…桐条先輩やゆかりちゃん、風花ちゃんを普段から見てきた私でも、息を呑んでしまうくらい美しかった。
「お初にお目にかかります。私、エリザベスと申します」
 そんな登場の仕方や、格好のせいか、夏休みの初日、ラウンジで課題を進めていた私は口をぽかんと開けていたと思う。
「お客様…、理様には主共々、お世話になって…おや?」
 理の名前が出て、さらにぽかん。お客様?お世話になっている?頭の中をぐるぐるさせていると、エリザベスさんの目線が私に向けられた。
「貴方が理様のお姉様、ナマエ様ですね?以後お見知りおきを…」
「は、はあ」
 彼女は私の座ったソファに向かうと、挨拶してくれた。何故、私が理の姉だと分かったのか。ここにいるのが私だけで良かったのか、悪かったのか。助けを求められず、おろおろしていると、慌てた足音が聞こえてきた。
「エリザベス」
「理様、お久しぶり…でもないですね、一昨日ぶりでしょうか?電話でお約束させて頂いたので、本日、寮まで馳せ参じました」
 騒ぎを聞きつけたのか、焦った表情の理が階段を急いで降りてきた。
「ポロニアンモールまで迎えに行くって言ったのに」
「おや?そうでしたか?あそこも良かったのですが、もうご一緒に探索させて頂いたので。…それに、理様のご住居、ご家族様にも興味が湧いたので、こちらから伺った次第です」
「…そう」
 エリザベスさんの話を聞いていく内に、諦めたような顔になる理。前にも一緒にポロニアンモールに行った?彼女の放つ言葉の数々に、「?」とともに、胸の内からもやもやが生じる。
 それが顔に出ていたのか、理が彼女について私に紹介する。
「説明しづらいんだけど、彼女にはペルソナについてサポートをしてもらってる」
 理によると、タルタロスの時計の前から、ベルベットルームという場所へ行くことが出来て、そこで彼女や彼女の主人のイゴールさんからペルソナ合体、ペルソナ召喚などのサポートを受けているらしい。時計の前で停止していた間、そんなことがあったのか…。
「えぇ、まるっと理様の仰る通り、私は主人イゴールの元で働く、エレベーターガールでございます」
「らしい」
「そうなんだ…?」
 言われてみれば、衣装がエレベーターガールっぽくもない。
「…彼女、変わっているけれどいい人だから」
「そうなんだね。……これからも理をよろしくお願いします。エリザベスさん」
 とりあえず、頭を下げておくが、半信半疑ではある。理がそう言うから半分は信じているが、突拍子がなさすぎて半分は信用しきれていない。
「えぇ、泥船に乗ったつもりでお任せ下さい」
「それじゃ沈んじゃいますよ!」
 自分の胸を叩く彼女に思わずツッコんでしまった。「ナマエ様はそういったスキルをお持ちで…、これは胸に刻んでおかねば」と感心されてしまった。ますます怪しさを感じてしまう。
「では、早速理様の自室へ案内頂けますか?」
「…分かった」
「えっ」
 何で理の部屋へ?二人とも、私の「えっ」に反応して、こちらを不思議そうに見ている。自分の部屋に女性を招く理に戸惑った。
「…ええと、ここで話さないの?」
「トップシークレットな案件でございまして」
「今後について話さないと」
 二人の今後について!?いや、ペルソナについての今後ってこと!?出かかる言葉を押さえ、口をぱくぱくさせる。今何を喋っても「二人は付き合ってるの?」とか「理はエリザベスさんのことどう思ってるの?」とか余計なことしか出てこなさそう。「理、私のこと、好きじゃなかったの?」なんてのはもっての外。理のことを家族としか見れない、と言った口でそんなこと聞ける訳がない。
「…いってらっしゃい」
 浮かんだ言葉、何もかも飲み込んで、私は二人を笑顔で見送ることにした。二人が見えなくなって、力なくソファに沈み込む。
 もしかしたら本当に、純粋に、ペルソナについての話なのかもしれない。そう祈ろう。さあ、私は課題に専念しなきゃ、と机に広げた夏休みの課題に向き合う。
 だが、集中できない。時計を見ると、10分過ぎていた。余程大事な話なのだろう。それから、30分、45分…と時計が進むも、まったく進まない課題。いつの間にか「二人とも何してるんだろう」とぼーっと考えてしまう。その度に考えるな、勉強しろ、と頭を振る事、何回目か。ついに1時間の時が経ち、エリザベスさんだけ、階段から降りてきた。
「窓から出て行っても良かったのですが、理様がどうしても玄関から帰って欲しいと仰るので、こちらから失礼いたします」
 エリザベスさんはアグレッシブな人のようだ。「彼女、変わっているけれどいい人だから」と理がフォローしていたことを思い出す。
 それでも、こんなに綺麗な女性と部屋で1時間、何か起こっていてもおかしくはない…!このままでは寮から去ってしまう。ソファから立ち上がった。勇気を振り絞り、エリザベスさんの背中に向かって声をあげる。
「あ、あの…!」
「いかがされましたか?」
 振り返ったエリザベスさんに息を呑んだ。銀のように眩い髪、満月のように妖しく輝く瞳。…人間離れした美しさに気圧されてしまう。だが、理のいない今、このチャンスを逃す訳にはいかない。
「あの、エリザベスさんって、理の彼女さん、なんでしょうか」
 真顔だった表情が一転。楽しそうに笑みを浮かべて「あらあらまあまあ」とエリザベスさんはブーツのヒールを鳴らしながらこちらへ近づいてきた。なんとなく、嫌味の笑顔ではないと、思う。彼女は向かいのソファに座ると、私にも「お座りなってください」と勧める。戸惑いながらソファに座ると、エリザベスさんは一気に前のめりになった。
「気になりますか?」
「はい、気になります」
「どうして?」
「理の姉だからです。やっぱり家族の事を知っておきたいし…」
 ここまで伝えて、おや?と思った。私、かなりのブラコンではないか?弟の恋人なんて、普通ここまで気になるものだろうか。そこまで思い至ると、慌てて聞くのをやめようとする。
「いや、なんか言ってて変ですよね…!そんなの普通だったら気にすることないのに…!ごめんなさい、気にしないで…」
「いいえ、気にします」
 エリザベスさんの笑顔に、「うっ」と声が出てしまう。
「理様と私は、お客人とエレベーターガール。我が主に誓っても、それ以上の関係ではございません」
 その言葉を聞いて、肩の力が抜ける。自然にほうと息をついたことを自覚し、驚いた。困惑する中、目を細めるエリザベスさん。
「胸に手を当てお考え下さい。何故ナマエ様は私の言葉を聞いて安心されたんでしょう?」
 エリザベスさんの黄色い瞳が私を射抜いた。蛇に睨まれたみたいに硬直してしまう。何もかも見透かされている。絶句していると、「おや、いけないいけない」と口を抑えるエリザベスさん。ソファから立ち上がって、優雅に会釈すると扉の前に。
「あまり干渉しては野暮ですし、ここで失礼させて頂きますね」
 今度は静かに帰っていった。どっと疲労感が押し寄せ、ソファに再度、沈み込む。嵐のような人だった。
「彼女、帰った?」
 ほどなくして理が階段から降りてきた。何事もなかったような、いつものポーカーフェイス。ソファに座りながら頷いておくと、近くで屈まれた。理に顔を覗き込まれている。
「何か言われた?」
「え、何も?」
「…そう、ならいいんだけど」
 いつになく胸が鳴っていた。心配をされている。仄暗い感情が体の中を広がっていく感じに、力強く両手を組む。
 私は確かに、エリザベスさんに嫉妬していた。

**

 沈む気持ちなんて関係なく時は進む。今日も今日とてグラウンドでテニス部の練習に参加していた。何も考えずに運動するのが丁度いい。スタミナ作りの為の走り込み、筋トレを淡々とこなす私に理緒を始め、部員たちが「何かあった?」と声をかけてくる。「何もないよ?」と無理やり笑う。
「これは恋の気配じゃない?」
「あはは、恋愛脳すぎるって…」
 図星を突かれながらも、理緒のようには悟られてなるものか、とあからさまにげんなりしてみせた。そして「疲れたから、ちょっと休憩…」といつものように地面に体操座りをする。
 家族にしか思えないくせに、理の、…女性との交友関係に焦ったり、苛々してしまうなんて。理に告白されて意識してしまっただけだ、と思い込もうとしても、どうにも自分が分からなくなっていた。理には姉らしく振舞っているくせに、自分はなんだ?これじゃまるで…。そこまで悩んで、思考を止める。休憩すると考え事を始めてしまう。疲れたという言葉とは裏腹にまた何周か走ろうとしたところで、視界の端に映る青い何かに気を取られた。
 校舎へ戻る扉の向こう、エリザベスさんの後ろ姿が。
「ナマエ、危ない!!」
「へ?」
 頭に鈍い衝撃走る。そのまま、視界がブラックアウト。

 目が覚めると、あまり見慣れない天井が目に入る。横を向くと、頭の後ろが痛んだのと、理がいたので情けない悲鳴をあげた。
「無理に起きなくていいよ」
 お言葉に甘え、また仰向けになる。氷枕がずきずき痛む箇所を冷やしてくれていた。
「テニスボールが後頭部に当たったって」
「そうなの」
「……ひやひやさせないでくれ」
 大きなため息をつかれた。無性に顔を動かして理の表情を見たくなったが、やめておく。心配されそうだ。
「ごめん。でも何で理がここに…?」
「終業式の時に会った、…テニス部のキャプテン?に呼ばれて保健室まで運んだ」
「…そういや理も体育館で剣道部の練習してたっけ」
「うん」
 そうか、ここまで介抱されたのか。何だか薬品の匂いが鼻につく。全然顔を出したことが無いが、この学校の保健室ってこんな感じなんだな。
 しかし、つくづく抱っこに縁がある…。いや、どういう運び方だったんだろうな。どうでもいいことを想像していると、唐突に、青い衣装のエリザベスさんの事を思い出す。
「そうだ、エリザベスさんが校舎にいた」
「え?見間違いじゃないのか?」
「……それに気を取られてボールに当たって気絶したんだけど」
 信じていない様子に、むっとしてしまう。エリザベスさんとの初対面で我慢していた言葉が、抑えきれずぽろっと出た。
「そう言って、また一緒にいたんじゃないの」
「ナマエ、……どうした?」
「なんか、仲良さそうだし…」
 言っておいて、胸の中渦巻く醜い感情に支配されたくない。ここまでにしておいてやる!と目を瞑って口を真一文字に噤む。
 しばしの沈黙。今度は後悔の念が占めてきた。言っておいて、これはさすがに…。
「もしかしてエリザベスに嫉妬してる?」
「いや…してないと思いたいんだけど…」
 理の声が真上からかかっているような。そんな気配に恐る恐る目を開けてみると、理は頬をほんのり染め、きらきらした目を私に向けていた。こんな輝いた表情を見たのは、いつぶりだろう?……事故以前の、まだ表情豊かな子どもだった頃だ。
 記憶を呼び起こす。私の書いた絵、自分の書いた絵を見せ合いっこした時。二人手をつないで走った時。一緒に押し入れに隠れた時…。懐かしくって、じいっと理の表情を眺めてしまう。
 ある時は楽しそうに、ある時はどきどきしながら、理は瞳のきらきらを瞬かせていた。これは、期待のきらきらなのかな。
「さっきから、……俺のこと、好きだって言ってるようにしか聞こえないけど」
 きら星がこつん、と私の額に落ちてくる。理が身を乗り出して、顔を近づけている。でも、嫌だという感じがしない。
「なにか言って。じゃないと…」
 私が「好き」と言ったら、満面の笑顔を見せてくれるだろうか。打算的なことを考えるも、もういっかあ、という諦めにも近い穏やかな感情に満ち満ちていた。家族だとかどうとか、気にしないでいいんだろうな。こんな嬉しそうな理を見たら、肯定せずにはいられない。結局、私は理にとことん甘かった。
「悔しいけど、私も理が好きだ」
「……悔しいってどうして?」
 満面の笑みではなかったが、おかしそうに笑っている。目尻には涙がたまっていた。嬉しくて、泣いているの?両手を広げて、理の頬を包む。
「理に告白されてから、ぐるぐる寄り道しながら走り回って、やっと好きだって気付いたけど、勢いで口走った言葉で発覚するってとこがね…。なんか悔しいなあって」
 今度は私が理に「大丈夫?」と声をかける。理は、ぽろぽろ涙をこぼしていた。きら星は、熱い涙に。私に降り注ぐ雨のよう。
「ナマエが、俺の事を好きになってくれて、良かった…」
「色々遠回りしてごめん」
 涙を指で拭ってやる。この涙の中には苦しみも混ざっているんだろうな。私がうだうだしている間も、私のわがままに優しく寄り添ってくれた時も、きっと理は、苦悩していた。
「でもね、好きになったっていうか、……多分、ずっと前から好きだったんだと思う」
 恋に疎かったこともあり、恋心を自覚するタイミングが遅すぎた。「やっぱりナマエは鈍いよね」と泣き笑いする理。生きている理。輝いたもの全てが愛おしい。それでいいんだ。
「キス、してもいい?」
「うん…」
 理の頬に添えていた手を首の後ろに回し、ぎゅっと目を瞑った。かさついた唇が私の唇に一瞬、触れた。壊れないかと、大切に扱ってもらっている感じ。それがなんだかくすぐったくって、首を抱き込きこむことにした。「え、ナマエ?」と戸惑う理を、自分の方に寄せると数秒、口付けた。
「可愛いな、理は」
 口を離して、はっはっはと笑いながら真っ赤になった理を撫でてやると、涙目で睨みつけられた。
「分かった…。そのつもりなら、今度はこっちだって」
 理を焚きつけてしまった。今度があるなら、凄いのを貰いそうである。どぎまぎしていると、理がおずおずと手を握ってきた。…ほら、そういう所。うちの理は優しいなあ。
「…しばらく、ここにいるから」
「部活はいいの?」
「どうでもいい」
「こらっ……ふふ」
 理が大切で、笑っていてほしい、でいい。私の「好き」はきっと、理の言う「好き」と同じだ。だって、キスしても平気だった。「愛おしい」って思った。
 理はベッドの横の席に収まると「そういえば」と見るからに怪しい液体の入った小瓶を眼前にかざしてきた。
「この薬を飲んだらすぐ良くなるだろうって渡されてた」
「見るからに怪しいね」
「江戸川先生特製の薬だって、味は…アレだけど、確かに効くよ」
「飲んだことあるんだね」
 理が飲んだことあるなら…と勇気を出して薬(?)を飲んでみることにした。頭はまだ痛むが理に支えてもらいながら起き上がる。匂いは嗅がず、一気に飲んだ。薬の嫌な味をこれでもかと混ぜた味だった。体に良いものがたくさん入っているんだろう。
 固まる私に、準備良くペットボトルの水を差しだす理。経験者である理は全てを分かっている。水をあおっていると、心なしか、頭の痛みが引いていく気がした。