放浪者のゆめ②

 「私の愛するスメールのことを知ってほしい」とナヒーダから学術書(初級)を何冊か貰った。旅人に戦いに駆り出される時以外は読むようにしていたが、一語一語の意味を理解するのが難しい。辞書もセットで渡されたので、わざわざ専門用語について辞書を引きながら読む本。読み進めるペースが亀のように遅い。
 与えられた部屋では、勉強したことをノートに綴る。皮肉にも、生論派の本が興味深く、スメールの書店を覗いて、分かりやすそうな本を買ったこともある。

「あなたって、勉強熱心なのね」

 慈しむように微笑むナヒーダが、苦手だった。
 買った本を後ろ手に回したが、遅かったようだ。

「……別に良いだろ、人形が勉強しちゃ悪いかい?」
「悪いなんて言ってないわ。それに、自分を卑下するのはやめなさい」

 つい皮肉が口にについて出る。彼女は首を横に振り、真剣に己を見つめた。その目線から逃げたかった。

 空とパイモンらに連れられ熱帯雨林や砂漠を探検する時は、敵を蹂躙して鬱憤を晴らしている。空は「放浪者は強いし、その上移動する時や高い場所の探索に便利だねえ」と呑気なことを言っていた。その言葉に、背中を蹴りたくなった。

 あの時神の目を与えられた意味。神と成った時に「願い」が神の目を授かる資格となることを理解した。
 風元素を司る神は、モンドの吟遊詩人として振る舞っているバルバトスだが、彼の意思とは関係なく授かることも。
 なにもできず、なにも残せず、価値のないまま終わりたくないと願った。そうして己の神の目がこうして手中にある。
 風元素で良かったと思っている。そして、そう思う自分を嫌悪した。

 空たちは冒険の際、必ず弁当を持ってきていた。なんでも草神の側仕え(たしか、ナマエと言っていた)が作ったのだとか。食事をする必要はないと何度も伝えたが、ナマエは放浪者が人形だと知らないから、と彼らは毎回弁当を押し付けてくる。

「ナマエの料理は美味いんだから、食べておいた方がいいぞ!!それでも食べないっていうならオイラが…」
「パイモン、それ以上食べると飛べなくなるよ」
「そ、そんなことないと思うぞ!?」

 五月蝿い二人から距離を取り、手頃な岩場に座って仕方なくワッパの蓋を開く。モンドに隕石が落ちる騒動で、空とパイモンと一緒にいた稲妻人のような奴が「ナマエ」なのだろう。おにぎりに、卵焼き…あの国を思い出しそうになるわ、弁当が美味しいわで全てが腹立たしい。

 このごろ、探索もひと段落つき、他の仲間を鍛えてくる!と空はスメール周辺の任務や、依頼をこなすようになった。
 暇を持て余して、部屋で読書しようものなら「部屋にこもってばかりじゃ良くないわ。お天気も良いし外に出なさい」とナヒーダに部屋から追い出された。
 そして、ついにナマエが自分の目の前に現れるようになった。ナヒーダ自ら町中を歩き回る訳にはいかない。彼女の代わりに、自分と関わるようになった「人間」。
 神になろうとしたこと、空と戦い、敗れ、世界樹で過去を変えようとして失敗した…。こいつはそれら全てを知らない。スメールで暗躍していた「博士」、賢者たちのことも教えられず、呑気にスメールの宿で空の帰りを待っていたようだ。
 空たちの金銭管理や家事を担う非戦闘員と聞いていたが、「別の世界から来た」空と同じように、彼も特異な能力を持っていることを感じられた。
 現在草神としてスメールを統治するナヒーダの側仕えに任命され、彼女にいわれるがまま、自分を探しに来る。
 正直、関わりたくない。ただの人間だから、弱そうだから、稲妻人のような容姿をしているから…挙げ出したらきりがないくらいには。
 当の本人も自分を探し出した時、そういう顔をしている。だが、ナヒーダに忠実であろうと、嫌々ながらに自分と関わろうとする。見つかるまいと場所を変えても執念で探し出してくる。

「探すの、めんどくさくて嫌だし、よく君に皮肉られるけど、君はナヒーダにとって大切な存在なんだろうね」

 スメールシティ、その周辺の地図を片手に、真っ直ぐな視線を向けられたこともあった。
 自分とは違う、と思った。ナヒーダも空も、こいつも、自分とは違う。清い存在である。
 たまに、どう抗おうと、己の存在が消せないとしても、自分がいなくなっていれば良かったのでは、と思うこともあった。

「おーい、放浪者!」

 ナヒーダに相談して夕食作りに行くから!とワープポイントへと消えていった彼の達成感に満ちた笑みを思い返しながら、我ながら阿保みたいに、ぼーっとベンチに座っていると、騒がしい声が聞こえてきた。

「いたいた!ナマエの言った通りだな!」

 空とパイモン、そしてナヒーダがこちらに向かってきた。

「なんで…」
「夕飯作りが終わりそうだからって、放浪者を呼んできてってナマエが言ってたからね」
「あいつ、ナヒーダの知恵をもらって張り切って料理作ってたぞ!早く帰ろうぜ!」
「ええ、帰りましょう、私たちのお家へ」

 ナヒーダが幼い掌を差し出す。
 自分は、差し出された手を取ることはできなかった。ベンチから立ち上がり、目を細めるナヒーダを一瞥して、聖処へ歩いて帰ることにした。

「歩いて帰るの?」
「まあ食前の運動も大事だしなあ」
「そうね、民たちの様子ももう少し見ていたいし、歩いて帰りましょうか」

 僕の後ろをぞろぞろとついてくる一行。
 ……ワープポイントで先に帰って、あいつに一人で会うのが嫌だったってだけなのに。

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 聖処へ着き、先頭の僕が仕方なく扉を開くと、言いようのない匂いが漂っていた。

「あっ、おかえり放浪者!」

 その言葉に返事ができたことがない。黙って突っ立っている間に話が進む。ナヒーダに空たちもおかえり!丁度夕飯ができたんだ、今並べるから食卓で待ってて、とナマエが活き活きと厨房へ戻っていく。

「俺も手伝うよ」
「オイラも!」

 ナヒーダと残された僕は、きっとバツが悪い顔をしているのだろう。

「ナヒーダ」
「なあに?」
「何故、ナマエと僕を接触させたがる」
「そんなことないわ、お手伝いさんがナマエしかいないから、そう思うんじゃないかしら」
「はぐらかすな」

 厨房と繋がったダイニングを行き来しているであろう三人をよそに、ナヒーダに問うた。
 人と関わりたくないと、ナヒーダも分かっているだろうに。ナヒーダはそれを知った上で、僕にナマエをあてがわせる。

「…新鮮でしょう。ファデュイであったことは覚えてるけど…あなたの過去を知らない相手と関わることは、これからも増えていくわ」
「……」

 人との交流。触れ合い。放浪の身となった今では、ナヒーダに仕える者と思われ、話しかけられることも少なくない。
 だが、親しくなれば、必ず別れを見届けることになるだろう。この身が朽ちるまでは何度も、何度も。

「ええ、人との別れは避けられない。その度に傷つき苦しむでしょう。…この前話したでしょう。民たちだって、家族や親友との別れに耐え切れず「彼らが存在している心地よい夢」に捕らわれることもあったと」
「なら、どうして」

 ナヒーダは胸に手を当てる。

「それでも現実を生きて、なにかを残したいでしょう。そう願い、あなたは神の目を手に入れた。……なら、あなた自身が紡いでいかなくちゃ」

 願いは思うだけでは叶えられない。行動すべきだと、ナヒーダは告げる。

「先ほども言ったように、彼はあなたのことをあまり知らない。私たちのようにあなたについての先入観を持って接することのない、唯一近しい子だわ。……けれど、いまだ彼と触れ合うのが怖いのでしょう」

 言い返すことができない。強く願い、生きながらえたというのに、「また別れが訪れるのが怖い」その程度のことから、僕は逃げているのだ。

「あなたは今世で、何を残したい?」

 そう問われ、「己が生きた証」とすっと答えが浮かぶ。

「……僕は」

 母親には捨てられたが、拾われた、たたら砂での生活は幸せだった。だが、人間は脆く弱い。丹羽が逃げたと思いこみ、戻ってきた頃にはあの頃のたたら砂は見る影も無くなっていた。両親を失い、病に冒された幼な子も生き絶えて、結局何も残らなかった。
 そして、ファデュイに誘われるままに入隊し、命令に従ってきた。ファトゥスの座を手に入れるも、自分、そして全てのものに価値がないと思っていた。意味がない。存在する必要がない。だから全てを滅ぼしたかった。

 だが、真実を知った今、二度目の人生を生きる今なら嫌でもわかる。何も残らなかった訳じゃない。
 たたら砂の皆は、僕を一人の人間として、家族として接してくれた。僕は人形である、人ではないのに。
 丹羽はたたら砂の皆を、僕を裏切ってなどいなかった。僕を「人」だと言ってくれた。
 名を知らぬ幼な子も、僕に模した人形を作り大切にしてくれた。「心」についての物語も話し、人形であることのコンプレックスを和らげようとしてくれた。己の寂しさゆえ「ずっと一緒にいる」という約束を交わした身勝手さも今なら分かる。

 彼らの人生に意味があった。生きた証は確かにあった。
 自分は…自分も…その先の望みがつっかかって出てこない。
 ナヒーダは言葉を探す己を見つめ、微笑んだ。

「人と触れ合うことは、悪いことばかりじゃない。あなたならもう分かっているはずでしょう?」

 あぁ、分かっているさ。顔を見られたくなくて、笠を深く被る。
 そんな中、ダイニングからナマエが顔を出してきた。

「二人ともなんか議論してる?並び終えたからダイニングに来てよー」
「えぇ分かったわ。…放浪者、あなたを労うご馳走が待ってるわよ」

 気持ちを切り替え、先を行くナヒーダについていく形でダイニングへ向かう。

 「言いようもない」としたが、やはり、懐かしい匂いだった。

 テーブルに並ぶのは稲妻料理。秋刀魚の塩焼き、生姜と菜の花の和物、椎茸や舞茸、蕗の薹の天ぷら。そして、炙られた鯛の刺身が乗った白ご飯。そばには茶漬けにするためか、スメール製のティーポットが置いてある。

「おかわりもあるからね」

 はいどうぞ、と白く上品なティーカップに緑茶が注がれる。どう見ても、チグハグな組み合わせだ。

「食器はすぐに用意できなかったんだよ」

 僕の視線を察してか、不服そうなナマエが息をつく。

「苦いものが好きって聞いて意気揚々と帰ってきたけど、全然メニューが浮かばない。そこでナヒーダの知恵を借りてこんなに豪華な夕飯が作れました!ナヒーダに感謝だよ」
「実際に料理を作ったのはあなただわ。感謝すべきはナマエと、食材を採ってきてくれる旅人たちよ」
「いやあ〜照れるな」
「ありがとう。まあ、パイモンは食材収集ならよく手伝ってくれるからね」
「なんか、含みのある言い方じゃなかったか?」
「別に?」
「……自分で言い出しておいてあれなんだけど、出来立てを食べて欲しいなー」
「おう!オイラも待ち切れないぞ!」

 この賑やかさも懐かしいな、と思った。たたら砂の皆で囲った食事を思い出す。煩わしいという思いは不思議と感じなかった。
 パイモンは席に座りながら、既にフォークを握っている。ナマエは苦笑いしながら「じゃあ」と手と手を合わせた。

「いただきます!」

 皆が手を合わせてその言葉を口にする中、釣られて僕も手を合わせてしまった。

 箸を使い、和え物を口に運ぶ。菜の花の苦み、生姜の風味がうまく合わさっている。天ぷらもさくさくだし、さんまの焼き具合もちょうどいい。やはり、ナマエの食事は美味しい。
 皆がスプーンやフォークを使う中で、ナマエと僕だけは箸を使っている。自分で作った食事だというのに、美味そうにだし茶漬けをかき込んでいた。

 すべて食べ終わったころに、少し冷めた緑茶を口に含んだ。渋い緑茶を飲んだのはいつ振りだろう。
 ファデュイに居た頃も飲んでいなかった。百何年ぶりかの茶は、身に染み入る苦さだった。

――――――

 彼らがごちそうさまをした後、皿を厨房へ運ぶ。さすがにそのまま置いて、部屋に戻れるような身分ではないからだ。

「ありがとう放浪者、あ、そういやさ」
「…なんだ」

 側仕えのナマエは洗いものも担当している。スポンジを泡立てて皿を洗う中、話しかけてきた。彼の目線は手元に向けられ、視線が合わない分、少し気楽だ。

「君って緑茶結構好きなの?たくさんおかわりしてたなあって思って」
「…そう、かもな」
「また部屋で勉強すんなら、お茶でも入れてやろうか?」
「…お前は」
「ん?」

 しなくてもいいのに蛇口をしめ、視線が僕に向けられる。

「お前は僕に見返りを求めないのか?例えば、礼とか、…お前が喜びそうな言葉とか…」
「え?別に礼を言われる為に作ったわけじゃないからなあ…。ナヒーダに言われたのと、好きで作っただけだし、いいよそんな。…それに、礼なんて言い慣れてなさそうだし?」

 何のメリットもないだろうに、僕を連れ帰り、なにも知らなかった僕に文字や料理、刀鍛冶、生きる術を教えてくれたひとたちを思い返す。そこにも、見返りはなかった。

「完食してくれたからそれで十分だよ」

 その笑顔が、丹羽や桂木、幼な子に重なる。瞬きを何回かすると、笑顔が焦った表情に変わる。

「目にゴミでも入ったか?」
「何だ!」

着けていたエプロンをめくって僕の目にあてるナマエ。払いのけようとすると、すぐに手をひっこめた。

「いや、泣いてるから…」
「は…?」

 僕は、涙を流しているらしい。
 それを自覚したら、即、自室へと逃げ帰ったのだった。

「え、何だったの…?」