放浪者の稲妻への鬱憤論文(しかし、当の論文は鬱憤で書いているとは思えない仕上がりだ)が完成に近づいてきた。
俺も張り切って、稲妻で収集した資料を裏付ける本を探し、ラストスパートをかけている。
雷電将軍によってくだされた鎖国、目狩令。これらは終わったことだが、放浪者は鋭く指摘をしている。彼女の政治への関与不足から幕府軍と目狩令への抵抗軍の戦いが激化した責任についても言及している。
そしてこれは昔のこと。雷電五箇伝の紛失。たたら砂に置かれたフォンテーヌの装置。批判、改善点…。(この中にファデュイのせいなのもあるよね絶対)
彼女は不変を目指していた。だけど、人の力に触れ、放浪者の指摘した部分も改善していくんじゃないかな。(放浪者の前では言わないけど)
いつものように脚立に上がって、資料探しを手伝いながら、ため息をついていた。
放浪者に、まだ返事が出来ていない。告白された訳ではないが、放浪者の気持ちに応じるか応じないか、返答しなければならない。
放浪者は研究室で論文を進めている。書庫でならため息くらいついたっていいだろう。
俺も恋愛をまともにしたことがないため、自分の感情が分からない。今までのまま、やいのやいのやれたら良かったのかもしれない。それを、俺の咄嗟の一言で壊してしまったのだ。
っていうか、放浪者が俺に惹かれる点が全然分からん……。どこを好きになったんだ?などと考えながら本を探していたせいか、脚立に乗せていた足を踏み外した。尻もちをつく!と思ったが、「危ない!」と言う声とともに、誰かが俺の下敷きになった。
「いてて…」
「ごめんなさい!お怪我は大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫だ」
慌てて下敷きになった男性から降りて、顔色を覗き込む。金髪の男性は、人の良さそうな笑みを浮かべているが、痛みを堪えているように見える。
少しだけ、バレないように元素の力を使ってみる。
「念の為、立ち上がって体が大丈夫そうか確認して下さい」
立ち上がった彼は、足踏みしたり肩を回したりした。
「うん、問題ないよ!」
元素の力を上手く使えたようだ。ホッと一息。
「良かった…。受け止めてくれてありがとうございます」
「いや…受け止めきれなかったけどね」
男性は自嘲するように苦笑いしている。制服を着ていないが、卒業生だろうか?
「卒業生の方でしょうか?俺はナマエといいます。あなたは…」
「あぁ、僕はカーヴェ、妙論派の卒業生さ」
妙論派って建築関係の学派だったっけ…、と頭の片隅の知識を拾いながら「わ、先輩。そうなんですね」と相槌を打つ。
「卒業生の方もこちらにいらっしゃるんですね」
「あぁ、調べものがあってね。アーカーシャ端末が止まってからは、みんなここに来る機会が増えている。……そういえば君、因論派の学生だよね?どこの研究室に…」
「因論派の学生か」
堂々とした声がかかる。こちらにやってきたのは二の腕を出しているムキムキの人だ。何度かすれ違って、こう呼ばれているのを聞いたことがある。
「アルハイゼン書記官…」
「げ…」
苦虫を潰したような先輩の声に書記官と先輩を何度か見比べた。
「アル…書記官がわざわざ新入生に話しかけてくるなんて、珍しいじゃないか」
「因論派の新入生がたて続けに入ってきたのが珍しくてね」
名前を言いかけたが役職名に言い直すカーヴェ先輩。知り合いかな?まあ深くは気にしないでおこう。
そんなに因論派って、知名度というか、人が少ないんだな…。歴史や文化について学ぶことはいいことだと思うんだけどなあ。
「君はどこか研究室に入ったのか?」
「あぁっ!僕が先に聞いたのに!」
「質問するのに後も先も関係ないと思うが」
二人は友達なのだろうか。大変息の合ったやりとりをしている…。
「笠っちの研究室に所属してます、…って言っても本を探したり資料の要点をまとめたりの補助みたいなもんですけど」
「笠っち……彼か」
「笠っちか」
二人とも声を揃えて「笠っち」の名を呼ぶ。
「お二人とも彼をご存知で?」
「あぁ、僕は…笠っちと因論派の学生の諍いを止めようとしたことがあって、その時にね」
放浪者のイザコザに巻き込んだようだ。申し訳なさ過ぎて頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしました…」
「いや、僕は止めようとしただけで、笠っちが「話にならない」とため息をついて研究室に戻っていったのを見送っただけだよ。学生から話を聞いてみたが、笠っちは口が悪いとかなんとか言ってたけど…彼らは正論で負かされただけかもしれない」
「率直な物言いからやっかみは絶えないようだが、彼が今回の因論派の代表になりそうだな」
「!」
カーヴェ先輩は書記官をジト目で見ていたが、代表、という言葉にはっとした顔になる。
代表とは?俺はなにも分からず質問することにした。
「代表…ですか?」
「あぁ、近々行われる教令院の学院祭で、六大学派から選出された各代表がトーナメントに出場するんだ」
「アルハイゼンの癖にやけに親切だな…」
カーヴェ先輩が信じられない、といったような目でアルハイゼン書記官を見つめている。既に書記官呼びも忘れている。
「俺は基本的に後輩には親切だが?」
「あはは…お二人とも仲が良いんですね」
「!?嘘だろ…断じて仲良くないからね!?」
「このやり取りを見ても、君にはそのように見えるのか?興味深いな」
腐れ縁的なものを感じるのは俺だけだろうか…。
しかし教令院にそんな学園祭みたいなイベントがあったとは。学生たちが浮き足立っていたのもその大会が楽しみだから、といったところか。
「笠っちは研究室か?」
「はい。俺は論文のための資料を取りに行ってて、落っこちそうになったところをカーヴェ先輩に助けられました」
「そうか」
アルハイゼン書記官はちらとカーヴェ先輩を見た後、俺に向き直る。
「助けられたというのに浮かない顔をしているな」
「あ、えっと…色々ありまして」
「そういえば、笠っちと君は恋人同士だと聞いたが、喧嘩でもしたのか?」
カーヴェ先輩は声にはしないものの多分、「アルハイゼン!」と顔を青くしながら口をパクパクさせている。
「噂話が耳に入ってきた。学生たちの前で接吻をしたとな。それが本当ならば、モラルに欠ける行動は院内で控えた方がいい」
心を的確に抉ってくる!俺も噂を聞いたことがある。アルハイゼン書記官はめっちゃ厳しいし、ズバズバ物を言う人だと…。
だが、これは事実だ。「すみません…」と謝ったまま、下げた顔をあげられない。カーヴェ先輩が「アルハイゼン!君には配慮ってもんがないのか!?」と代わりに怒ってくれた。
「院内では静かにしてくれないか」
「君ってやつは…新入生をよってたかって追い詰めて何がしたいんだ…」
「ただ注意をしただけだ」
なおも書記官と先輩の言い合いは続く。終わりそうもない喧嘩、集まってきた聴衆、さすがに顔を上げて喧嘩を止める。
「俺のせいで喧嘩はやめてください…。人も集まってきました…」
「す、すまない…」
書記官は仏頂面を崩さないまま。自分は悪いことをしていないが?という心の声が聞こえてきそうだ。
「すみません」と二人の手を引っ張ると、聴衆をかきわけ、人目のつかない所に移動した。
「院内の雰囲気を乱して申し訳なかったです。…えっと、今の俺は大丈夫なんで、お気になさらないで下さいね」
改めて謝罪すると、資料探しの続きをしたいので失礼します、と去ろうとした。
「だが「色々あった」と言っていただろう」
「君は本当に…追及の手を止めないな!?」
書記官はカーヴェ先輩の声を無視する。
「俺が君に注意をする前から顔色が悪かっただろう」
本当にそれ。新入生を気遣ってんだか、追い詰めているんだかよくわかない人だ…。これは正直に伝えるしかないか…。これは悩みの内のひとつだ。
「……あれ以来、笠っちと話し合いが進まなくて、論文のための情報伝達もうまくいかないんです」
放浪者と話すのを躊躇するようになってしまった。放浪者も放浪者で、あの夜以降、俺に話しかけることはなくなった。だから、論文の手伝いも、論文を見ながら不足してる情報を自分で考えて集めている状態だ。
「それはよくないな。論文の進み具合にも関わるんじゃないか?」
「仰る通りです」
この問答はいつまで続くのだろうか…。ずっと前から震えていたカーヴェ先輩が声をあげる。
「ナマエのプライベートな面に突っ込んで、モラルが欠如しているのは君の方だろう!君なりにナマエを心配しているのかもしれないが、尋問するように話を急かすのは君の悪い癖だぞ!?」
庇ってくれるカーヴェ先輩の一喝に、やっと一呼吸おけた。
書記官は「ふむ…」といった顔をしている。俺を心配して問い詰めているのかは全然分からないが…。
「ナマエ、元の書棚に戻るといいよ。この馬鹿は僕が説教しておく」
「先輩…」
カーヴェ先輩の株がかなり上がった所で、冷たい声と冷たい感触が手を握りしめた。
「ナマエに何か用ですか?」
放浪者が先輩方二人に笑顔を向けている。いや、笑みを作っていると言った方が正しい。
なかなか戻ってこない俺を探しに来てくれたのだろうか。
「笠っちか…彼と一緒に戻った方がいい」
放浪者の発する圧を感じたであろうカーヴェ先輩は、苦笑いしながら俺たちを書記官から引き離してくれた。
「では失礼します」
強く手首を握られたまま、早足の放浪者に引っ張られるように研究室に戻る。
部屋に戻ると、手を離される。手首に跡がついている…。
「あいつらに何かされたのか?」
怒りの気配…。俺は当たり障りのない返答をする。
「何かされてなんかないよ。金髪の先輩は脚立から落ちそうになった俺を助けてくれて、流れで先輩とアルハイゼン書記官と話をしてただけ」
「稲妻関連の書棚からずいぶん離れていたが?」
やっぱりバレバレだよなあ…。肩を落とすと、仕方なく話す。書記官に恋人同士なら周囲に気を配るようにって注意されて、人が集まってきたから移動しただけ、とぼんやり伝える。
放浪者は先ほどからかなり怒っていることが伺える。話題を変えよう。
「あ、そうそう、放浪者が教令院の学院祭のトーナメントの因論派代表になるかもよ?みたいな話もしてた」
「……」
無言!とても興味がなさそうだ。
「放浪者、なんでそんなに怒ってるんだよ」
「……君が知らない男と喋っていたら、無性に腹が立った」
それは、嫉妬だと思う。我ながら恥ずかしいけど、きっと。
「最近、……自分が分からない。……振り回されてばかりだ」
「……」
溜息、それに心底疲れた表情に、何と声をかけてよいのか分からないまま口を開いたが、何の言葉も思いつかなかった。
知らなかった感情に狼狽えているように見える。放浪者は自分の気持ちを理解出来ているのだろうか。いや、そうには見えない……。俺が彼を振り回しているのか。
そうか、放浪者を苦しませているのは、俺のせいだ。
そう頭に浮かんだら、もしも時間が戻れたら、と現実逃避し始めた。かくれんぼをしていた頃、ナヒーダのお願いを断れば放浪者は俺と仲良くならずに済み、他人同士のまま。放浪者が苦しむこともなくなる――。我ながら最低な考えだ。
でも、想像したら胸が痛くなった。嫌だ、と思った。二人で居たい。彼のことをもっと知りたい。
考える。俺は前のような関係でいたい。冗談言ったり皮肉られたり、仲良くやっていたい。
放浪者はその関係から変化を望んで、悩み苦しんでいる。彼の為に出来ることは――。
「放浪者、苦しませてごめん」
「……この痛みが、君のせいだと?」
「俺はそう思うよ」
放浪者は己の胸の部分の服を掴んだ。
「今、俺は放浪者と前みたいに話せる友達に戻りたいと思ってる」
胸を掴む手に力が入るのが分かる。ごめん、と心の中で謝ると、話を続けた。
「放浪者をもっと苦しませて傷つけるかもしれない。でも、今の関係をはっきりさせたいと思っての提案なんだけど……、試しに恋人になってみてもいいか?」
「恋人……」
試しに恋人ってなんだ、と頭を抱えたくなったが、思ったことを伝える勢いが萎んでしまわないよう、俺は喋り続けた。
「お試し期間は1ヶ月。その後、やっぱり恋愛感情は持てないって結論になるかもしれない。恋人という立場に収まるかもしれない」
放浪者は俺と伏せ目がちに視線を合わせた。悲しげでもあり、期待に満ちているようにも見える。
「後腐れなく話し合いたいし、……一緒に苦しんだ方が、放浪者も気が楽になるんじゃないかなって」
あれから、自分の感情に苦しむ姿をずっと傍で見てきた。放浪者が少しでも楽になってほしい。二人一緒だと、少しはマシになるんじゃないかな?
「お前だって十分苦しんでるように見える。……僕のせいで」
放浪者の指摘に「うっ」と唸る。確かに俺も放浪者のことを考えて寝れないこともあったけど……。
「……それは否定はできない。だからこそ!一緒に悩んで結論を出したい」
「俺たちの関係をこれからどうしていくかの結論を」と告げると、放浪者は俺を真っ直ぐに見つめた。
「この話、乗ってくれるか?」
笠を手でいじると、放浪者は溜息をつきながら頷いた。
「分かった。お前の賭けに乗ってやる」
「賭けかぁ〜、そうとも言えるかもな……」
うまいこと良い感じに収まるといいのだが。
「だが、1ヶ月どうしろと……」
「俺を恋人だと思って接して。俺も出来る限り応えるから。そうだな……デートしたり?手を繋いだり……?ギューって抱きしめあったり?」
「疑問形だらけだな」
「これ、恋愛素人のアイデアだからな!?それに放浪者だって…そうじゃん」
「……否定はしないよ」
そんなこんなで恋人お試し期間が始まるのだった――。
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その頃、アルハイゼンとカーヴェはというと…。
「俺は笠っちと彼の論文が無事終えられるよう、調子を戻す方法がないか質問をしただけだ」
「ほら、新入生を気遣っていたんだろう?絶対本人に伝わってないぞ……」
「伝わらなくてもいい。何か問題でもあるのか?」
「そういうとこだぞ!?」