目覚ましのアラーム音を止める。…あれは、夢だったんじゃないかと思いたいが、…現実か。体が軋む。謎の筋肉痛と、起き上がってすぐ目に入った、部屋の隅に立てかけてある薙刀の入ったケースがそれを証明している。
自室のカーテンを開けて朝の光をとりこむ。町は平穏そのもの。鳥が羽ばたく青空がみえる。道路には犬の散歩してる人、ジョギングしてる人もいる。こういうのを見ると、本当に首を捻りたくなる。
疲れで寝過ごしそうだとかなり早めに目覚ましを設定しておいたが、杞憂だったようだ。とりあえず朝ご飯を作ろう…。制服に着替えて、エプロンを手に部屋を出る。
ロビーに降りると、ソファの方で桐条先輩が優雅に朝の紅茶を嗜んでおられた。「おはようございます」と挨拶しておく。
「あぁ、おはよう。よく眠れたか?」
「はい」
「それは良かった。…昨日はご苦労だった」
「は、はい。ありがとうございます」
予想通り格好いいお返事を頂く。彼女はもう食事を済ませたのだろうか。早起きだなあ、と思っていると、かっこよく労られた。それさえも様になるオーラが彼女にはあった。少しだけドキドキしてしまい、居心地が悪くなってきた。彼女から意識を逸らそうと辺りを見回せば、キッチンの方からやわらかなリズムで食材を刻む音が耳に入った。
「もう君の弟が調理しているようだな」
「は…えっ!?ほんとですか!?」
ゆかりちゃんとばかりに思っていた。先輩の言葉にキッチンへ駆け込めば、本当に理が黒いエプロンを巻いてたどたどしい手付きで調理をしていた。なんとまあ初々しい。その様子をじっと見つめていたら、視線に気付いたのか急に振り向き、視線をがっちり向けられた。なんとなく刺々しく感じるそれに、そそくさと彼の隣に移動する。
「…はい、手伝います。ご苦労様です」
卵焼きつくって、と言われる。理は理で、とん、とん、とネギを刻んでいる。お湯を張って茹でている鍋の中には豆腐が沈んでいる。このネギもきっと味噌汁の具なのだろう。
後はフライパンの上で直に鮭を焼いている。… 焦げ付かないのかな、と思ったけど、今更口を出しても仕方ない。そこら辺はまかせた。
とりあえず私は言われた通りに卵焼き器を下の戸棚から取り出し、お椀に置いてあった二個分の卵を、そのままお椀へ割っていく。
切りすぎたのか理がネギを横からお椀に投下してくる。美味しいからいいけど。それもあるが、しょっぱい卵焼きの気分だったので、今日は砂糖は無し。醤油とうま味調味料を少量入れて菜箸でリズミカルに混ぜていく。
適当に混ぜ終わったところでコンロに火をつけて、卵焼き器をその上に。大ぶりな容器から菜種油を垂らす。すぐに卵液を投下すれば、じゅうう、という焼ける音がしばらく後からやってきた。…こういうのって、フライパンを温めてから入れた方がいいのだろうか?…料理って、自分でやらないと気づかない事が多い。
理もそうだったみたいで、見事にフライパンに鮭の皮を引っ付けていた。無言で菜箸をぐりぐりとして表面を削っている。
「私たち、料理本でも借りてきた方がいいかもね…。基本的なことから説明してくれる感じのやつ」
「…学校の図書館にでもあるんじゃない」
「じゃあ私が図書館見てくるわ。理は外から良さげな本探してきてよ」
返事はない。理が黙々と皿に、弁当箱に具材を盛り付けていく中、私はフライ返しで卵焼きを見事に、…ひっくり返せなかった。テンション下がるなぁ。ぐにゃりと歪んだ卵焼きを4等分にフライで分けた。ちょっと焦げ付いた黄色い生地に、緑色のネギが浮かぶ。
ダイニングに作った料理を運んでいたら、ソファに腰掛けていた先輩はもういなくなっていた。フェンシング部…朝練かな?
長テーブルに白米に、味噌汁、冷奴、卵焼き、鮭を並べる。見事な和食!…最後の方のおかずはちょっと見た目がアレだが食べればみな一緒。そんなことより、初の理の手料理と思えば、なんだか嬉しい。それを素直に伝えたら淡々と「そう」というお返事。それは良い、いつもの事だ。しかし、「料理なんて、みんな同じだと思うけど」と呟かれたら、え〜!!と非難のブーイングをぶつけてやった。焦げ付いた皮の鮭を食べると、自分で作ったものより(ほぼ冷凍食品)おいしい!と思える。
「理の作った鮭、おいしいけどなあ…」
「こげてるけど」
「おいしいよ?うん、ちょっとじゃりじゃりするけど」
理が黙り込む。フォローになったのか、なっていないのか。思ったことをすぐ口に出しすぎたかもしれない。頭の中でやっちゃったなあと軽く落ち込んでみた。これからは気をつけよう…と省みようとしたら、階段を降りる靴音にすぐに気をそらされた。
「ゆかりちゃん、おはよう」
「ナマエ、結城君、おはよう」
「…おはよう」
相変わらずピンク色のゆかりちゃんがロビーに降りてきた。今日は朝練が無いのか初日より幾分か遅い時間だった。
「昨日はお疲れ様」
「うん、お疲れ様。…二人とも…なんだかんだで、活動に参加しちゃったけど、大丈夫?辛かったら辞めちゃってもいいんだからね…」
「ありがとう」
ゆかりちゃんは優しいなあと顔を緩ませていると、例の味噌汁の借りが頭に浮かんだ。固まる私。どうしたの?やっぱり無理してる?と声をかけられる。理も顔を覗き込んでくる。
「ちがうちがう!…味噌汁のお礼を…したいなあ!と…思ったんだけど…」
卵焼きはいびつだし、残りはもうお弁当に収まってるし、…次に、私が料理を担当する日に…。でも、上手い事作れるかなあ。
まるで、ゆかりちゃんにあげられそうなものが無い…。私は彼女に追いすがる。
「今あげられるものがまるで無いから、…いつか、料理上手くなったら必ずご馳走するから!」
「お礼なんて、2人ともいなかった頃の冷蔵庫の食材使わせてもらったから、それでいいのに…。てか、ちょっと規模が大きくなってない?」
「おすそ分け的なものを体験してみたいんだよ。美味しいって言って欲しいし」
「…あはは、まあ、そう言うなら楽しみにしてるけど」
お姉さんのような笑みを浮かべて食事の用意を始めたゆかりちゃん。理はもう食事を再開させている。
その内食事を完食させ、ゆっくり食器を洗って、テレビの前に。まだ登校するには早すぎる。
…ニュースは無気力症の事を報じている。…気が重くなるが、私たちの活躍で患者さんが減るなら、と自分たちの行動の意義を再確認できた。
ゆかりちゃんが食事を終えたあたりで順平君が慌てて飛び出してきた。今から食事を作るのか。初日の私か。…いや、それより遅すぎる。急がないとまずそう。
「順平君大丈夫?今からご飯作るなら…えーと」
余っている味噌汁は理が作ったしなあとお裾分けを躊躇していると、「いや、白米だけかっこむ!」という栄養バランス無視な発言。
ゆかりちゃんが皿を洗う中、ご飯を盛って掻っ込む順平君。なんだかデジャブを感じるよ。
「そろそろ行こっか、二人とも」
弓道用具とカバンを持ってゆかりちゃんは私たちに笑いかける。そうだね、そろそろ行こっか。
「ちょっ、ゆかりッチ達ちょい待った!!一緒に登校しようぜ!?」
「何言ってんだか…。一人で登校しなさいよ。私やだからね」
「…ッ理〜〜!!親友を選んでくれるよなあ!?」
無言で玄関に歩き出した理。苦笑いしかでない。
「両手に花とかずりぃぞーー!!」
玄関を開けて去る間際、悲しい叫び。私も花なのかあ、と呟けば、あんなの無視無視、とクールなゆかりちゃん。颯爽と歩き出す。
**
揺れ、混み具合。通学に慣れ始めた電車の中。タルタロスからの帰路以降ずっと気になっていた事を話してみた。
「理はオルフェウスで、私はペルセポネ、ゆかりちゃんはイオ、で、順平くんがヘルメスってさ」
「…ペルソナの事?」
「うん、…名前を調べたら、神話の神々みたいなのが出てきたんだよね」
「あぁ…そうなんだ。聞き覚えあるなと思ってたら、神話なのね」
もし聞いてる人がいたら、女子高生による謎の会話にしか聞こえないだろうな、と思いつつも話を進める。
「イオはゼウスとヘラの浮気現場を目撃して、牛に変えられちゃった侍女って書いてあった」
「ふーん、…浮気現場、ねえ…」
「かなり謎だよね」
ゆかりちゃんが憂いを帯びた目を車窓に向ける。退屈な話題かもしれない。それとも、心当たりでもあるのだろうか。それでも私は理にも伝えておく。一応こちらに顔を向けている。
「理、オルフェウスはね、人類最初の詩人、竪琴の名手」
愛した妻を亡くし、彼女を取り戻そうと冥府に向かう。彼の歌は冥府の番人達の心を動かし、冥王ハーデスと交わした約束を守る条件で妻を生き返らせる事を取り付けた。しかし、約束を破ってしまい、彼女を取り戻すことは叶わなかった。…その後は色々あって、琴は天にあげられ、妻の待つ冥界へ魂は降りていったとかなんとか…。
語り終えて、電車は学校へ着いてしまった。電車を降りる学生の波に揉まれながら、ゆかりちゃんは厳しい顔をした。
「イオより長くない?」
「確かに思った。…かなりストーリーがある子なんだね」
「……だから竪琴を持ってたんだ」
「あれで敵を殴ってたよね」
「……」
学校へ歩みを進める学生のがやがやの中の沈黙。…大事な竪琴なんだよね。
「ちなみにペルセポネは?」
「ゆかりちゃんが乗り気で何より。…ペルセポネはさっきでてきた冥王ハーデスの妻。…といっても地上で花の女神だったところ、ハーデスに見初められて、冥府に連れ去られたって」
へえ〜、と呟いたゆかりちゃん。「心当たりとか、似てる所ってある?」と私に聞いてきた。
…まったくもってさっぱり、と言えば、「だよねえ」と笑っていた。