放浪者のゆめ③

 今日も「放浪者にこの本を勧めてきて、きっと彼にとって有用な筈だわ」とナヒーダから頼まれ、放浪者を探しだす。
 最近、もはや「何だ」の一言もなくなり、俺を一瞥して再び読書を再開させることが多くなった。

「ナヒーダから君にとって有用な本だからぜひ読んでねと言われて配達しに来たよ。今日も勉強?偉いね」

 ベンチに座る放浪者の横に腰掛けると、持ってきた本のページをパラパラ捲ってみる。難解な文字たちに、…とても、頭が痛くなってきた。早々に本を閉じる。隣から鼻で笑う声。

「根気なさすぎ」
「料理の本なら興味あるんだろうけど、学問にはあんまり興味が無いんだよ。仕方ないじゃん」

 しかし、彼は料理に家事に勉強もできる。何でもそつなくこなせるよなあ。感心していると、子供が走り寄ってきた。

「兄ちゃん、足速いんだってな」
「え、俺?」
「隣の兄ちゃんだよ!」
「あ、ごめん…。ほら、放浪者、お呼ばれされてるよ!」

 あからさまにため息をつきながら放浪者が本を閉じても、その子はたじろぎもしない。肝のすわった子だなあ。次はその子に感心していると、少年はもう一度放浪者に声をかけた。

「兄ちゃん、足が早いって聞いたんだけど、俺と勝負してくれないか?」
「…勝負?」

 放浪者は明らかに面倒くさそうである。あわあわと2人のやり取りを見守る。

「そこの兄ちゃん、地図持ってんだろ。貸してくれ」

小脇に抱えていた地図を貸すと、少年はスメールシティの外周を指でなぞる。

「ここから1周走って、どっちが早くゴールできるか勝負だ!」

 熱血少年をどうどうと諌める。どういう経緯で放浪者に競走の勝負をふっかけるに至ったのか。

「凄い足の速い、…笠を被った兄ちゃんがいるって噂で聞いたんだ。…俺はスメールシティで一番足が速い、こりゃ勝負しなきゃ、と思って声をかけただけさ」
「なるほど…」

 放浪者はとても、眉間に皺を寄せている。これ、勝負してくれる以前の問題では?

「足速いって放浪者の元素の力のアレだよね?あれを連発したら絶対この子勝てないじゃん」

 コソコソと放浪者に話しかけるも、暫くして「そうだろうな」と返事がかえってきた。

「そこの子供、僕はこの風の神の目の力で速く飛んでいるだけだ。僕自身の力で速く走っているわけじゃない」
「そうなの?」
「あぁ」

 肩あたりに飾られた神の目をぐらぐら動かす放浪者。種明かしをすれば諦めるだろう、という魂胆がなんとなく分かる。少年は元素の力でなんて…と戸惑っている。少年にとって不完全燃焼で終わりそうな話だ。これはよくない。子供の純粋な気持ちに灰をかけるなんてこと、俺にはできなかった。だから、放浪者を焚き付けてみることにした。

「じゃあ元素スキルなしの、本気の勝負をしてみたら?」
「はあ?何だそれは。僕になんのメリットがあって…」
「あーじゃあやっぱり素の放浪者だと、えーと、あ、君、マッハ君ていうんだね。…マッハ君には適わないってことなんだね…。そうかそうか…」
「勝負する前に僕が負けると決めつけるのか?」
「じゃあガチンコ勝負されます?放浪者さん?」

 伊達に冒険してないだろ。もしかしたら良い勝負かもしれないよ?とにこにこしながらずいずい近づくと苦い顔で仰け反る放浪者。

「風の神の目を持ってると足も速いよ、きっと」

 知らんけど、と付け足したくなる言葉が、マッハ君の目の輝きを取り戻していく。
 だが、なおも放浪者は俺を胡散臭そうな目で見つめる。腕を組んで、テコでもベンチから動かなそうだ。

「メリットが欲しいなら、俺が作るよ。勝負してマッハ君に勝ったら、なんかお願いきいてあげる!…あっ、できる範囲でお願いします」
「…その言葉、本気にしていいんだな?」

 放浪者がぎろりとこちらを睨みつける。

「い、いいよー?」
「…仕方ないから、勝負してやる」

 俺の言葉を聞き届けた放浪者は、ベンチから立ち上がり、マッハ少年に向き直る。マッハ少年は「やった!」とぴょんぴょん飛び回る。その跳躍力からも運動神経の良さが伺える。

「準備はいいのか?」
「全然オッケーだよ!審判はそっちの兄ちゃんがしてよ!」
「任せといて!」

 しかし、さっきから熱い視線を集めているような…。周囲を見回すと、マッハ君と同い年くらいの女の子が遠巻きにこちらを見つめている。

「あの子らは…」
「知らない。わかんないけど、ついてくるんだよ」

 そうか、小さい頃のモテ基準は「足が速いかどうか」である。小学校時代を思い出した。マッハ君は今、モテにモテていることに気づいていない!…まあそれはそれとして…。

「じゃあ、二人とも横に並んで」

 放浪者が走り出す構えをしている。マッハ君にいたってはクラウチングスタートである。本気度ぉ…。

「よーい、…ドン!」

 マッハ君が勢いよく走り出した。出だしが遅れた放浪者は彼の背中を追いかける。

「マッハ君がんばれー!」

 キャー!!と取り巻きの子らが先回りするためか、逆走ルートへ。取り残された俺は、マッハ君、その調子で勝て…、と拳を握る。
 ぺろっと「言うことを聞く」なんて言ってしまったが、どんなお願いをされるか未知数なためちょっと自分の言ったことを後悔してきた。それにまだまだ子供であるマッハ君には自信をつけてほしいため、俺はマッハ君を応援する。
 一人うんうん、と頷いている中、キャー!という歓声がすぐそこまであがっているのに気付いた。え、まさか、もう一周して――。
 ゴール位置から、走ってくる二人を確認すると、全速力でデッドヒートを繰り広げる少年と子供の姿があった。
 息を呑み、誰が先にゴールしたか、なんとか目視で確認しようと必死で二人を目で追いかける。

「ゴール!」

 勝ったのは、放浪者。僅差ではあったが、走る幅の広さが勝因だった――。

「勝ったのは…放浪者!」

 女の子たちの悲鳴があがるが、公平なジャッジである。ゆるして。
 息を切らしてその場にしゃがみ込む二人。慌てて俺は近場のカフェからミネラルウォーターを急いで買って二人に渡した。
 無言で受け取る二人。CMのように美味しそうに水を喉を鳴らしながら飲んでいく。

「本気の勝負、見事だったよ。放浪者。…もしかしてスキル使わなかったの?」
「…さすがに、知りもしない子供の心を折ることで…自尊心を満たすような悪趣味は、持ってないんでね」

 その間も、ぜい、ぜいと苦しげに話す放浪者。隣で大の字に倒れ込んだ少年も「兄ちゃんは元素力を使ってなかった」と力なく声をあげた。
 初めて見たからか、汗をかいている放浪者が珍しく見える。ハンカチあてていい?今日なんも使って無いから…と聞くと、項垂れるように頷いた。
 ぺたぺたと額や首を伝う汗をふいてやった。その内、俺の行動を見てか、女の子たちもマッハ君にタオルを渡しに行く。タオルまみれになりながら「あんがと…」とお礼を言えるマッハ君。偉いぞ。
 その内、恥ずかしくなったのかハンカチをひったくられ、着物をくつろげて、服の中も部分の汗を拭いていく。別にいいけど、容赦ねえ…。
 放浪者の懐から、ころりと何か転がった。

「人形?」

 なんだか放浪者に似ている、白い服を着た黒髪の可愛らしい人形がこちらに転がってきた。目じりには、涙のような粒がぶら下がっている。

「可愛いね。誰かから貰ったのか?」

 はい、と懐に入っていたせいか汗でしっとりした人形を手渡すと、無言で仕舞われた。
 前に裁縫を習っていたとナヒーダから聞いていたけど、自分で自分を模した人形を作るものだろうか。いや人形を作る彼自体が想像出来ない…。彼を慕う誰かがプレゼントしたものだったりして…。
 そこまで考えて、ちくりと胸が痛んだ。

「うん?」
「…どうした?」
「いや、大丈夫」

 そんなやりとりを終えた所でマッハ君が「兄ちゃんすっげー速かったな!」と、いつの間にか起き上がったのか。しゃがみこんでいる俺たちを見下ろして、満面の笑みを浮かべている。満足したようでなにより。

「今度勝負する時は負けないからな!今日も修行あるのみ!」

 放浪者が「嘘だろ」と絶句する最中、駆け出して行った。先ほどまで寝っ転がるまで疲労していたのが嘘みたい。「ダッシュでスメールシティ10周だー!」と叫んでいる。嵐のような少年だった――。あ、「マッハくーん!!」と女の子たちも後を追うようにダッシュしている。……まさに青春――。
 「ハンカチ」と放浪者がしゃべったことにより、「え、あ!」と現実に戻される。

「…ハンカチ、洗って返す」
「うん。そうしてくれるとありがたい」
「…君、駆けっこが始まる前に言った言葉覚えてるのかい?」
「へ?」
「僕のお願い、何でも聞いてくれるっていったよね」

 いつもの悪そうな、余裕ある笑みに戻った放浪者。あっ…と言葉を漏らす俺。そうだった…。