タナトスが消えた後の私は、弾かれたように理に駆け寄った。倒れた理は目を覚まさない。呼びかけても何も返事がない。ゆかりちゃんも苦しげな息を吐きながら項垂れたまま。階段も壊れたから助けも呼べない、どうしたらいいのか分からず呆然と理を揺さぶることしかできない。「理、おきてよ」と情けなく名前を呼ぶことしか。
いつの間にか夜空は黒に変わっており、ヘリコプターが頭上を舞っていた、降り立った桐条先輩がゆかりちゃんを運び、真田先輩が理を運ぶ。私も一緒に乗り込むように言われ、病院へと飛んだ。
理は、命に別状がないものの、過労に近い状態になったと点滴につながれることになった。何日か寝たきりになるらしい。待合室で待たされていた私に淡々と容体を告げる幾月理事長。
この人が、私達を特待生として月光館学園に招いたのだ。
我が家に、あの事故の補償として学費、寮費の保障、月々生活費としてのお金も振り込まれる条件で月光館学園への転入の誘いがきた。私の両親は理に転入する事を強く勧めた。理も断る理由もなく、承諾。
私はというと、今になって保障とはどういう事だ、それに、事故が起きた地へ一人、理を追い出すつもりなのかと激怒した。両親の言い訳を聞く気にならず、勝手に自分も理についていく事にした。…本来ならば理だけの補償だったが、私も転入する旨を伝えれば、今まで彼を育てた義理の家族だからと同じ補償を受けることができた。
詳しい説明は朝にでも、疲れたろうから眠った方がいいという彼の言葉の後、やっと理の病室に入ることができた。白い部屋の白いベッドで目をつむっている理。その傍らに布団がしいてあったが、深夜だというのに寝ることもできなかった私は、備え付けの椅子に座り、彼の顔を見つめていた。
…そういえば、とあの子についてケータイで調べた。タナトス。あれはなんだったのか。少しの手がかりに縋りつく。なんとなく嫌な予感はしていたが、「死神の俗称」という文章を目にして、頭が真っ白になる。
…浮かぶ光景、あの子が理を抱えて去っていく。理を連れて行こうとしているのか、そう考えてしまうのが自然だろう。このまま理が死んでしまうのか?想像するだけで怖かった。この子を連れて行かないで。棺桶を従わせて浮かぶ彼の姿を思い浮かべ、祈ることしかできない。そう考えてしまったら、大丈夫だと言っていた理事長の言葉もあまり信用できない。
なんで、死神なんだろう。なんで、名前、分かったんだろう。調べ終えて、ケータイを閉じる。ベッドで死んだように眠る理の傍ら、途方に暮れるしかなかった。分からない事だらけだ。…理事長は、ゆかりちゃんは、桐条先輩はきっと知っている筈。…それを、今まで黙っていたのだろうか。
もう一度、眠る理を見つめる。ただでさえ白い肌なのに吐息も小さいものだから、怖くなって思わず、右目にかかっている髪をかきわけて、頬を手の甲で撫でる。ぴくりと動くまつ毛を見て、少しだけ、安堵した。
不安になったら、それを何度もやって、確認してみた。一人残され、起きているのは本当に心細かった。
だから、先に目を覚ましたゆかりちゃんが病室に入ってきたとき、私と同じように理を案じてくれて涙がこぼれてしまった。
「危険な目に合わせて、ごめんね。…私が、ちゃんとやれてたら…。ナマエ、ごめん…」
ゆかりちゃんも泣きそうな顔になっていた。ちゃんとやれていたら、の意味は分からなかったが、私は涙をぬぐいながら頷くだけしかできない。
「…理事長さんが言うには、理は何日か寝たきりになるけど、命に別状はないって…。うん、大丈夫だよ」
やはり、縋れるものには縋っておこうと、大丈夫と言わないと自分も壊れてしまいそうで、ゆかりちゃんに言い聞かせながらも、自分にも言い聞かせていた。
私が落ち着いた頃を見計らって、彼女はあの時間の事をぽつぽつと説明し始めた。ペルソナ、影時間、シャドウ。ゆかりちゃん、先輩達はあの怪物のような『シャドウ』と戦う為に集まって分寮で活動している。理があの銃、召喚器で呼び出したような『ペルソナ』を使役し、彼らは深夜0時以降のあの時間、『影時間』になるとシャドウと戦っている。
先ほどのちゃんとやれていたら、は、ペルソナをちゃんと呼びだせていたら、という事だろうか。
「信じられないだろうけど、シャドウが無気力症患者を増やしているの。だから先輩達は戦ってる…」
「……うん…ちょっと、にわかには信じられない…なあ」
スケールの大きな話。でも、あの怪物に襲われた身としては、無気力症どうこうより、命の危険を感じた。
「私も最近この事を知って、この活動に参加したばかりだから、…戸惑うの、よく分かる」
「…どういうきっかけで知ったの?どうして、こんな危険な事…」
「……私は」
ゆかりちゃんが俯いて何か言いかけた時、部屋の外から再びノック音。「どうぞ」と声をかければ、理事長、先輩方が病室に入ってきた。
「よく眠れたかい?……すまない、落ち着いた頃に話を、と思っていたが、かえって考え込む時間を長くして、混乱させてしまったかもしれないね」
「……」
「岳羽君から話を聞いていたのか、…岳羽君、どれくらい説明したかな?」
「…私の知っている範囲は大体伝えました」
「それなら話は早い」
人の好さそうな笑みで私達を眺める理事長。その顔のまま次に放った言葉は「是非、君の弟君ともども、特別課外活動部へ協力してほしい」…それはつまり。
「影時間に生身でいられるという事は適正がある証拠だ。一緒にあの怪物、シャドウと戦ってくれないか?」
「理事長…」
ゆかりちゃんが眉をひそめた。私は突然何を言ってるんだこの人、と目を瞬かせる。
「…結城君、君も見ただろう。白いフォルムのペルソナ、…そして、不可解だがあの黒いフォルムのペルソナも君の弟が呼び出し、君達を守った」
「…本来ならば、ペルソナは決まった一体しか呼び出せないものだ。…彼が複数のペルソナを使役できるのならば、我々にとって大きな戦力になる」
「戦力って…!理をあんなのと戦わせるつもりですか!?」
「まあ、落ち着け。あいつの意見は聞くさ」
「意見…」
先輩方も私と…理に戦って欲しいようだ。理の事だから、頼まれたら「はい」って言うだろうな。…私が全力で止めれば、「じゃあやらない」になるだろう。この主体性のなさに危機感を覚える時が来るとは。背筋が粟たつのを感じながら、首を振った。
「無気力症を引き起こしているのは奴ら、シャドウ。僕達、人類の敵だ。患者が増えていっているのをニュースでよく見るようになっただろう?…あんな怪物を野放しにしてはおけない。それに対抗しうる力が君にはある、…世界を救う力がね。…それでも目を背けていいのかい?」
理事長が真剣に、私を追い詰めるような事を言ってきた。やはりシャドウと無気力症が関与しているなんてまったく想像できないが、あんな怪物が私達の生きている今に存在している。それに、私達に襲いかかってきた。…どうしたらいいんだろう。戦いたくなんて無いのに、向こうから襲ってくるなら、自衛手段は立てておいた方がいいのか、その為にはペルソナを召喚する術が――。
「…あの!この子にいきなり決断を迫るの、やめましょうよ…!今まで黙ってたのに、急に全部教えて、こんなのって…」
今まで黙っていたゆかりちゃんが私を気遣ってくれたのか、先輩達と理事長のプレッシャーから遠ざけてくれた。
「…ちょっと、考えさせてもらっていいですか」
「ああ、僕達は君をいつでも歓迎するよ」
やっと絞り出した言葉で先を逃れる。これからどうなるんだろう。私も、理も。
**
一日目。学校を休んでずっと理のそばにいたが、目を覚まさなかった。次の日、先輩達から「学校へ行っておいた方が良いだろう」と苦言を呈され、後ろ髪をひかれる思いに駆られながらも、仕方なく学校へ行く事を決める。寝泊りは病院でしながら学校へ通おう。滾々と眠り続ける理に「いってくるね」と声をかけて病院を出る。
先に寮に帰っていたゆかりちゃんからメールが届いていた。駅で合流して、一緒に学校へ行こう、と。学校前の駅で降りると、ゆかりちゃんが柱に背をもたれて辺りを見回していた。ゆかりちゃん、と声をかけると、名前を呼び返してくれた。
なんとなしに歩き出し、無言のまま葉桜がちらほら芽吹き始めた並木へさしかかる。
「…ごめんね、皆、ナマエが辛いのにせかして…。結城君が目を覚ました後、ゆっくり考えてくれればいいから」
「うん、そうだね…。ありがとう、ゆかりちゃん」
「協力なんて、しないでいいんだよ」
「うん…」
それでいいのかな、とも思う。何も知らないフリしていても、それはそれで苦しいし、きっと戦ってもつらい。よくわからない事に巻き込まれてしまった、という理不尽に襲われる気持ち。
授業もあまり身に入らず、病室に思いをはせるのみ。度々、痛々しい程に、煩わしい笑い声が聞こえてきて、となりの山岸さんの事が頭をよぎるが、何かできるような心持ではなかった。ふさぎ込んでいるのを自覚していていたが、どうしようもない。
何日も続く、病院と学校の往復、理の顔を見る、そんな繰り返しの日々。ゆかりちゃんや山岸さんに心配され続け、やっと元気に振舞おうとする事にした。いつまでも落ち込んだ姿を見せるのは、周りに気を遣わせるし、止めた方がいいと思ったからだ。それと共に思考の整理を試みた。化け物退治を断るか受けるか。
深夜、眠っている間にあんな怪物に襲われる危険もある。自衛手段程度は覚えておいた方がいいはず。…最近になってこの現象を知り、死の危険に触れる体験。…知らないままだったら、こんな思いをせずに済んだのか、と思ったところで、理はずっと影時間を生きていたという言葉を思い返す。理は、怪物に襲われた事は無かったのだろうか。…襲われてたら、ここまで生きてない、か。凄い驚いてたし、かなり叫んでたし…。あんな大声出す理、初めてかもしれないな。それか小さい頃に、大泣きしてた時…以来か。懐かしい。あれ以来、感情なんてまったく乱さなくなっていたから。…また選択から脱線した。真剣に考えるのも怖いのだろう。
病院中心の生活になった今では、自炊する場所もなく、する気もないので売店のおにぎりやパン、サラダなどを買って食べている日々。学校から帰って、眠り続ける理の傍で適当にご飯を食べていた。昔のことを思い返すなんて、本当に死んじゃうみたいで、やだなあ。もう一週間も点滴しか体にいれてないし…。
「…おいてかないでよ」
背中を丸め、指で頬を撫でるのが習慣となっていた。まつげが揺れる。生きている。
溜息にも似た安堵の息を吐く。その内、涙でも出てきそう。病室の扉をノックする音にしんみりした雰囲気に浸っていた私は驚いて振り向いた。