爪紅、その後

ついに爪の紅が剥がれ落ちた。風呂から上がって何気なく指を見てみれば、中途半端に紅が剥げ落ちた不細工な爪がそこにあった。
塗りなおさなきゃ。淡々とそれを見つめながら呟いていた。こんな爪をしていたら、主に愛されない。己の思考というものを持った時から俺はそう思い込んでいた。刀の生い立ちか、終わり方のせいなのか分からないけど、自分は可愛くなくてはいけなかった。

「塗りなおせばいいって言ってたじゃないですか」
「そうだそうだ」

あの時の声が浮かぶ。可愛がってほしいからと何回塗りなおすのだろう。三人で爪を塗った事を思い返す。今まで爪を眺める度にあの時の事を懐かしんで笑みがこぼれた。新しく塗りなおすと、思い出まで上書きしてしまう気がした。
…自分が剥がれたという事は、主、鯰尾の爪も剥がれてきているのだろうな。どう、声をかけたらいいんだろう。また塗る?と聞いて断られたら悲しい。主に俺の色を爪に彩り続けて欲しかった。こんなの、ただのワガママだけど。

「どうしたの?加州君」
「うわっ!?あ、主!?」
「あ、爪…」

横から声がかかった。廊下でぼうっと突っ立っていたからだろう。主は俺の顔を覗き込んだ後、剥がれていた爪に目を向けた。

「私も剥がれてきちゃったんだよね」
「…あ」

主の小さい手が差し出される。爪の紅が同じように欠けていた。

「加州君、また塗ってってお願いしたら…迷惑かな?」
「…え、全然!また塗らせてくれるの?」
「うん。折角女子なんだからこういうお洒落くらい、満喫しようかとね。後ね、見せたいものがあるの」

主は楽しそうな笑みを見せた。

**

「じゃーん」

私室まで通され、可愛らしい鞄から取り出したもの。透明なケースの中に、桃色、水色、黄緑、黄色、橙色、白色のマニキュアが入っていた。女の子らしい色が並んでいる。「これ、どうしたの?」と聞けば「買っちゃった」と歯をのぞかせた。

「加州君に感化されてね!…赤もいいけど、気分によって他の色にも変えれたら、素敵じゃない?」
「主…」
「どれ塗ろうか。加州君、選んで!」

じゃあ桃色、と選んでみれば。私もそれ塗ってみたかったんだ、と桃色のマニキュアを取り出した。

「またお揃いにしていい?」
「もちろん!…まずは、名残惜しいけど赤色、おとそっか」
「…うん」
「もしかして、嫌?」
「違うよ!…なんだか、寂しいというか」

言い終わってから、少し後悔した。男なのに、こんな事弱弱しいこと言って良いのかな。でも、主はそんな事全然に意に介してないのか、「そうだよね」と言ってくれた。

「私もそう思ってるよ、きっと鯰尾君も。あの時折角加州君に綺麗に塗ってもらったのになあって。嬉しかったから、落ちていくのがいっそう悲しい」
「主も、同じ?」
「うん」

主もそう思ってくれていたんだ。…なんだか、嬉しい。

「えへへ」
「加州君、これからも一緒に塗ればいいんだよ」

また一緒に塗れば、それも思い出になっていく。これから先もずっと、こうやって主と喋りながら、一緒に爪を彩っていく光景が浮かんだ。その光景の中の自分は幸せそうに笑っていた。

「今度は鯰尾君も誘おうね!」
「え~…鯰尾のことは別に…」
「そんな事思ってないくせに」

穏やかな顔の主に、何も言えなくなった。別に、仲間外れは可哀想だとは思っただけだし…。
主が寂しいだけじゃないって気付かせてくれたから、紅を落とすときも平気だった。ただ、除光液に浸したコットンを持って主が俺の爪紅を落としてくれるのだけど、彼女が俺の手を握っているのに胸がざわついた。嬉しくて、全身の血が沸いてきそうだ。

「私が今度加州君のを塗ってみよっか」
「ほんとに?じゃあお願い。うんと、可愛くしてよ」
「がんばりまーす」

よし、と気合を入れるように声を出した主は再び俺の手をとった。ああ、また嬉しくなる。
薄い桃色を真剣な表情で俺の爪に塗っていく主を眺めた。やはり集中している時は視線に気付かないようだ。

「乾いたらトップコートを塗ろうね。すぐに剥がれ落ちないように」

微笑むように目を細めて、ゆっくり、ぎこちない手つきで俺の爪を彩っていく。今は俺だけの主なんだな。彼女を独占している今この時が愛おしい。このあまい時間がこれからも爪紅が落ちるたび、続いていくんだ。

あれ?そう考えたら紅が落ちたら落ちたで、ラッキーなのかな?

「はい、できた!加州君ほど綺麗に塗れてないけど、ごめん…加州君?おーい加州くーん」
「それもそれでありかも…」
「か、加州君?」