爪紅は懐に入っていると加州は分かっていた。大切にしてほしい、加州の気持ちが姿かたち、服装に反映されたのだろう。
主の手を取った時、加州の肩が跳ねた。驚く程脆そうだったからだ。人間の、しかも女の子の指。このまま、手をとっていていいのだろうか、とナマエを窺う加州に「お願いします、加州君」とナマエは楽し気に視線を返す。言葉のままおずおずと爪紅を塗り始めると、主はきらきらした目で自分の爪が赤く染められるのを見つめている。沖田が遊んでいた子供達のように無邪気な表情だ。楽しそう。加州は失敗しないように必死に自分を内心で励まし、作業に集中しようとする。同時に、胸から沸きあがるときめきに身を焦がしていた。今、自分が主を喜ばせているのだ。
塗り終わって、平気な顔をして「出来たよ」と言った。主は「ありがとう加州君!」と礼を言いながら爪を見つめた。「自分の爪ながら、綺麗だねえ」と目を細めてはにかむ。
この喜びようをじっと眺め、嬉しいと思った。彼女に必要とされている。自分の体の中心が満たされる。もっとと叫ぶのだ。もっと、俺に寵愛をください。
そうかみ締めている最中でも、先程から鯰尾が「俺も俺も~」とうるさい。主も見ているし、仕方なく鯰尾の手も自分と主とおそろいにする加州だった。
「鯰尾君もかわいくなるねえ」
「なっちゃいますねー」
手のひらをひらひら扇ぎながら加州の作業をまた楽しそうに見つめるナマエ。…可愛い。加州は時折主の様子を窺いながら、先程よりてきぱきと鯰尾の爪を彩っていく。彼女はとても弱いのに、自分たちに気丈に振舞う。心配させたくないんだったっけ。加州は自分を呼び出した際の審神者の想いを振り返る。どうして審神者になったんだろう。どうして主は、そんなにがんばるのだろう?彼女を想うたびに彼女について疑問が湧く。…彼女を、知りたいのだ。彼女の一番になりたいのだ。このか細い背中を、自分が一番近くで支えるのだ。
とろけるような甘い夢、はあ、とため息をつきたくなる。気が付くと最後の指に爪紅を塗り終えていた。
「はい、出来た」
「わーこんな風になるんですね!」
「鯰尾君の手も綺麗になったね。加州君にお礼を言ってあげて」
「あぁ、有難うございます。加州さん」
「別に」
「素直じゃない人だなあ」
「まあまあ」
爪をいじらないように机の上にのせて、暫く喋り、爪を乾かした。二人とも誇らしげに手をかざしている。それを見ていると加州はなんだかくすぐったくなった。
そして、荷物を想定した所に置く為、ナマエの指示のもと、荷物運びが始まった。大きな家具はあまりなかった。何でも政府がこの屋敷を管理している為、刀剣男士の部屋などは必要なものが置いてあるらしい。屋敷も審神者のいる現代の技術で加工されており、食材は冷蔵庫で長期間保管できるし、風呂は自動で沸くようだし、厠には陶器の椅子がある…。電気、機械、顕現された際に最低限の知識として備わっていたが、それでも驚いてしまう。
荷物を運び終えた時にはナマエはつかれた、と居間にすわりこんでいた。
「主、もう疲れちゃったんですか?」
「あはは…うん、ちょっとね、ちょっと」
「休んだらー?」
「んー大丈夫、まだ喋っていたい」
「…そう」
それなら、と加州も同じようにナマエのすぐ横に座った。鯰尾もそれにならって座る。
「…何を話そうか、私の事でもはな」
室内にぐう、と音が響いた。その瞬間、ナマエは顔を赤くさせた。
「なにですか?主、今の音」
「…お腹すいた、みたい。…何か作るか。加州君達もご飯食べる?」
「主の手料理…!」
「ええ!?そ、そんなに期待しないでね」
台所行ってくるね、と土間に向かおうとしたナマエについていく二人。振り返ったナマエはどうしたの?と首を傾げた。
「手伝うよ、やり方わかんないけど。待ってるのやだし」
「じゃあ俺もそんな感じで」
「ほんとう?二人とも手伝ってくれるんだ、有難う」
「加州さんはそういうの苦手そうですけど大丈夫ですか?」
「そんなことないって。俺、主の手伝いするのきっと好きだよ」
「あら…」
なんだか照れるね、とナマエははにかむ。「じゃあ早速、カレーでも作ろっか」と腕をまくって声を出したはいいが、「あ」と固まった。
「どうしたんですか?」
「…家事するとね、水とかよく触っちゃうから、マニキュア…爪の赤いのも取れやすくなるんだなあ…」
それでも、いい?とナマエは二人を、加州を特に窺うように見つめる。加州は、それは嫌だと思った。…でも、ナマエの為だ。へらへらした笑顔を作った。
「…取れたら、また塗ればいいじゃん?」
「そうですよ!」
「…じゃあ、改めてお願いするね」
**
機械に研いだ米を入れて、「すいはんジャー」を操作した主。その内機械から煙が出てきた。「こ、壊れた!?」と慌てる加州達を見て笑う審神者。
そして「カレー」だが、鯰尾と加州が自分の得物でなく、包丁を使い、じゃがいも、にんじんの皮をむいて刻んでいく。たまねぎは半分に切ると皮が向けやすいらしい。主は作業中にいろいろと教えてくれる。茶色の部分は食べられない。火もつけずに電気の熱で鍋を温め、ひき肉、刻んだ具材を炒める。水を入れ、煮立ったら、茶色の固形物を入れた。これは「ルー」といい、お湯に溶かすと簡単にカレーが味わえるようだ。何やら香ばしい匂いがただよってきた。
「お米も炊けたし、早速食べよう」
ナマエは取り出したばかりの皿に炊き立ての米をつぎ、カレーをお玉で注いだ。出来立てだからか、凄まじく湯気がたっている。
ここまでにナマエは二回程腹を鳴らしていた。
「はい、鯰尾君」
「どうも、…これどんな味なんですか?」
「まぁまぁ辛いかな。饅頭とはまったく違った味だけどおいしいよ。はい、加州君も」
「ありがとう主!」
どれだけ腹がすこうと、刀剣を優先する主を、加州は輝く目で見つめた。なんていい主なんだ。そして、なんと主の切なそうなこと。己の皿にカレーを注ぎ、さっと、居間のちゃぶ台に座った。その手には3つスプーン。二人にそれを渡すと、「食べよう!」と手をあわせた。
「いただきまーす、はぐっ…」
即座にスプーンでカレーをすくい、口に入れた。幸せそうに食べている。それを見ているだけでお腹いっぱいである。鯰尾も「うまい!」とぱくぱく口に入れているし、加州もカレーを口にしてみる。あ、美味しい。しかし、目線はどうしても主の方に向いてしまう。至福の表情の主を見ているだけで、こちらも気持ちが満たされていく。
ナマエは半分ほどカレーを食べ進めた所で、加州がこちらを笑顔でじっと見ている事に気づいた。カレーをあまり食べ進めていないことから、どうしたのか声をかけた。
「加州君、どうしたの?お腹いっぱい?」
「あ、えっと!…食べる、食べるよ?でも、主の表情みてるだけでお腹いっぱいというか…なんでもない!忘れて!」
「確かに食べっぷりがよかったですよね」
「う、う…お腹すいてたんだよ…!」
ナマエはやっぱり顔を真っ赤にさせたのだった。あぁ可愛い主だなあ、と加州がでれでれし始めた。
**
主は小夜左文字を鍛刀した後、もう一振り刀を鍛えたようだ。今度出来上がるものは何日もかかる。相変わらず主はそれでも戦に行く気はないようだ。…鍛刀部屋を眺めると、なんとなく懐かしい気配を感じた。気のせいだろうか。
今日も小夜が来た為に主は茶会を開く。主とおそろいの赤い爪を眺めて、加州は笑みを深めた。出陣は、まだまだ先のようだ。