眠れない夜に

 過去なんて振り返ってやりませんよ!と言うと、彼女は「そうなんだね」とほほ笑んでくれる。ただそれだけ。彼女のおだやかな笑顔を見ると、過去なんて気にしてません。本当です。本当なんですよ!なんて叫びたい衝動に襲われるのは何故だろう。心のどこかでなにか、疑っているのだろうか。
 口癖のようにつぶやいたり、人に聞かせたり。その時笑顔も忘れずに。自分が笑っていれば皆が笑う。それでみんなも、俺も幸せ!……と思ってたんだけどなあ。
 悪夢を見て目が覚めてしまった。刀でも夢を見るのだ。乾いた笑みが漏れそうになった。寝巻ごと汗びっしょりだ。額の滴を腕でぬぐう。暗い中でも夜目がきくおかげか、部屋の中の時計は深夜だと告げているのが分かった。小夜を起こさないようにそっと布団から起き上がって部屋を出た。音もなく障子を閉める。渡り廊下から広がる景色に目を向けると、木々がさわさわとゆるやかな風によって揺れていた。見上げれば空にはこうこうと輝く星々。そういえば主が「本丸で見る星空はきれいだよね」って言ってたっけ。…夜風が気持ちいい。目を瞑って心地よさを感じていてもよかったのだが、とりあえず喉がからからなので台所へ行く事にした。人の体は面白いとは思っていたけれど、こういう面白くないものは歓迎できない。楽しくない夢なんて…いや、夢さえもいらないのではないか。
 夢の中で自分は焼け落ちる部屋の中、動けずにいた。動こうと思っても体が動かない。多分、これは刀であった頃の記憶なのだろう。何もでき無かった過去の記憶。柱が崩れる。熱い。共に在った兄も、炎の中に沈んでいく。たすけて。あの頃言葉があったならそう叫んでいたのか。

「いずれは、鯰尾君も縁のある戦場へ向かわせる事になる」

 ある日、主が加州さんを呼び出した後、俺を部屋へ呼んだ。今は戦ってもいないけれど、面子が揃えば戦場へ向かう。先ずは加州さんがいた頃の幕末。その後、時代をいくつか超え、戦国時代の終わりへ。…そこが俺に縁のある時代らしい。

「鯰尾君は記憶がないって言ってたけれど、辛かったり、不安だったらすぐ私に言って」

 不安だって言ったらどうなるんだろう。…彼女の事だから戦に出さないでくれるかもしれない。でもそうしたら、他の刀達に負担がかかりそう。だから、戦に出ても別に構いやしない。そう思いながらも「はあい」と笑顔で頷くことで話は終わった。後で聞いてみたけど、加州さんも全然気にしてないみたいだった。問題なく戦に出れる、って。
 台所へ向かう途中で主の部屋の明かりがついていることに気付いた。主はこんな時間まで起きているのか。横目で眺めながら台所へ着くと、大きい箱、冷蔵庫を開けた。暗い中光る中身。そこにあった麦茶を、戸棚にしまってあったガラスのコップに注ぐと一気に呷った。喉を通る冷たい感覚。はあ、とため息をついた。汗も少しはひいたみたい。だが、すぐに部屋に戻って眠りたくなかった。またあの夢をみそうだ。

「あれ、鯰尾君」
「…主」

 気づかなかった。主が廊下からひょっこり顔を出していた。そのまま電気をつけて台所へ入り、こちらへ歩いてくる。またあの時の洋服を着ている。

「眠れない?」
「まあ、そんなとこです」

 主も戸棚から自分のコップを出すと、俺がシンクにおいていた麦茶を注いだ。喉を鳴らしながら麦茶を飲む様子を眺める。…ため息ついてたの、見られたかなあ。今俺は笑えているかなあ。

「私、昼寝してるからもあるんだろうけど、寝付きにくいし、たまに夢見が悪くてね」

 主がしゃべりだした。夢見が悪い、という言葉に動揺しそうになる。努めて、いつものようににこにこ顔になろうと試みた。

「寝付きにくい時は目を瞑ってるだけにして体を休めて、夢見が悪い時は……ちょっと起きたりしてる」

 やっぱり明確な対処法はないようだ。残念に思いながらも、今まさに俺のように主も起きているのか尋ねる。

「…悪い夢でもみたんですか?」
「ああ、違う違う。今日は仕事を遅くまでやってるだけ。いつも悪い夢見てる訳じゃないからね」

 慌ててつけたされた言葉に少し笑ってしまった。これは本当みたい。

「鯰尾君の方こそ、大丈夫?」
「俺は大丈夫ですよ」
「…うん。でも、……いつも笑ってくれているから、ちょっと心配」

 主の方が大丈夫か?と思っていたくらいだが、当の主は俺の方を心配していた。まいったなあ、と頭をかく。あれ、なんだか。

「あの、本当に困ったら悩みとか、話してほしいんだ。…といっても的確なアドバイスをできる自信ないし、頼りないやつだってのは自覚してる……。それでもね、一緒にいて、うんうん話を聞くぐらいはできると思ってる」

 俺を見てぽつぽつと言葉を紡ぎだす主。それを見ていたら、なんだか目が熱くなってきた。なんで。

「鯰尾君」

 そのうち、頬に何かが伝いだす。なんだこれ、驚きでただ立ち尽くす。恐る恐るそれをぬぐってみると、透明な液体が指ににじんだ。これは、…涙?正体に気づいた頃には主がティッシュで涙をぬぐってくれていた。

「あるじ」
「居間にいこっか」

 彼女に手を引かれると、台所から直通の薄暗い居間に移動。押入れから座布団を取り出して畳に座るよう促された。ぱちん、とスイッチを押して居間の灯りをつけたり、台所で麦茶をくんで、ちゃぶ台にことんと置いてくれる主をぼうっと眺める。主が頼もしく感じた。主も向かいに座ると、「リラックスしていいよ」と笑う。正座で座っていた。お言葉に甘えて足を崩すことにした。

「…辛いこと、不安なこと、…あったかな?ごめんね、今になって気付いて…」
「…そんなことないです。……主、…さっき、夢を見たんです」

 肩をすくめて、笑わない俺をまっすぐに見つめてくれる主。こんな俺でも、いいの?なんだか情けなくて、こどもみたい。ぐちゃぐちゃした思いを抱えつつ、夢の内容を話した。…怖かったってことも。話すだけでも不安で重かった体が軽くなった。…彼女が俺の気持ちを知ってくれた、わかってくれたからかな?先程の言葉通り、頷きながら真剣に主は話を聞いてくれた。そして、頭を下げられた。

「…鯰尾君、辛かったね。…ごめんね」
「なんで、主が謝るんですか」
「…そんな過去から救ってあげられないのが、本当にくやしい」

 主は、眉間にしわが寄るくらい固く目を閉じた。自分のことのように苦しんでみえる。

「…主、そんな事言わないでください。…過去は変えられませんよね。俺だって、ちゃんと分かってます。」
「…鯰尾君」

 主は自分たちの為に歴史を守ろうと審神者になった。それでも、俺を救えたら、と言ってくれた。その気持ちだけで嬉しい。そう、俺なんかの為に歴史を変えてはいけない。分かってるよ、主。心の中で何度も頷いた。泣き叫ぶ自分を納得させる為もあるかもしれない。それに……俺達が燃えない歴史になったら…あんまり想像つかないけど、きっと、主と出会う機会もなくなってしまうのだと思った。そうなったら、嫌だと思う。

「辛くても、俺はそれを受け入れて…歴史を守りますよ。…主ごとね!」
「鯰尾君」

 やっと心から笑えた気がする。そういってやったら、主も笑ってくれた。それだけで嬉しいんだ、俺は。
「…ありがとう、鯰尾君」
「そうだ、また眠れなくなったら主を呼んでもいいですか?」
「全然いいよ、寝てたら起こしてくれてもいいし」
「それは気が引けるけど…。また、二人で話ができたらって思えたら、悪夢を見るのも楽しみになりそうです!」
「あはは、なにそれ~」

 そういえば、と話は続く。次に来る刀剣男士、加州さんが気にしてましたね。といえば、加州君の知り合いかもしれないねと返される。

「鍛刀場、すっごい気にしてましたもん、あの人」
「そうなんだ…。明日でも仲間に迎えられそうだから、加州君に迎えてもらおうかな」
「それはいいですね!」

 夜は更けていく。ほとぼりが冷めたら再び「おやすみ」と言葉を交わしてまた布団に入ろう。いい夢が見られそうな気がする。