0時間近、時計を見つめてその時を待っていた。閉じたカーテンの隙間から差し込む光が緑色になる。それと同時にぴたりと時計も針をとめた。この時間になると機械が止まってしまうらしい。机に向かっていた私は立ち上がって窓辺へ向かう。この為だけに夜中まで予習復習、音楽を聞いたりしながら待っていたようなもの。探検のイメージトレーニング的な意味も込めて、変わり果てた景色を確認しておきたかった。カーテンを手で除けて外を眺める。薄暗い緑の街を照らす月が真っ先に目に付いた。昨日とほぼ変わらない満ち具合。今日が満月なのだろうか?この時間帯の月を見あげてつくづく思う。威圧感というか今にも迫ってきそうで恐ろしいと。
「約束通り会いに来たよ」
「わあっ!?」
唐突に背後から聞こえた幼い声に思い切り叫ぶ。咄嗟に振り返ると、初めてここに来た時の『謎の契約書の男の子』がちょこんと立っているではないか。あの時と変わらず囚人服みたいなボーダーの装い。音もなく部屋に入ってきた謎の少年に身構える私。
「なんでここに…」
「言ったでしょ?満月の日に会いにいくって」
「……そういえばそんなロマンチックなこと言ってたっけ…」
少年に会ったのは少し前のことだ。奇妙な出会いを思い返していると、「あ」と声をあげた。気がかりな事があった。『契約書』の事をちゃんと聞いておかねばと口を開く。
「ねえ、あの時の契約書って本当に何だったの?」
彼の目線に合わせて屈んでみる。今度こそちゃんとした答えがほしい。しかし、少年は「始まるよ」とまたも私の期待した返事とは違う謎の言葉を紡いでくれた。
「彼の運命の歯車が回り出す時が来たんだ」
「う、うん…?」
「だから、そばにいてね。…苦しい旅路になるだろうから」
「……」
子供らしからぬ詩的表現に驚きつつも、意味深な言葉の意味を理解しようとした。だが、誰かのなにかが始まる事しか分からない。後は、それが苦しい行く末になるということ、だから私が傍にいてあげて、という事。考えれば考えるほど疑問は沸いていくばかり。その内、子供の言う事だし、と真剣に考えるのに疲れ、彼の目線を訝し気に受け止める事しかしなかった。
「…じゃあね、また」
「え、ちょっと待っ…」
やはり有無を言わさない少年は別れの言葉を告げ、目の前で消えた。…瞬きをしたらいなくなっていたのだ。…前に会った時といい、やはりこの時間に起きる怪現象のひとつなのだろうか?寮に住んでいるゆかりちゃんも知らない謎の少年。一人、取り残された部屋の中で黙り込んだ。思考が追い付かないながらも、自分の中にそこまで恐怖心がないことに気付いた。あんまり噛み合わないながらも会話出来たからだろうか。…幽霊かもしれないのに。こういう現象が得意でないと思っていたから内心驚いている。ここまで肝っ玉があったか、自分。
ドタドタと部屋の外が忙しなくなった。寧ろそっちの方が恐ろしく感じた。ひぇ、と小さく悲鳴をあげる。とりあえず立ち上がって、扉を見つめる。…先程まで静かだったのに。足音は近づいてくる。映画で培った想像力が最悪の状況をつくりあげていく。強盗、それともホラー!?
「ナマエ!入るよ!」
声の主が遠慮なく私の部屋の扉を開けた所で、私は情けない声をあげながら頭を抱えていたが、顔を上げて深く息をついた。入ってきたのはゆかりちゃんだった。ほっと安心したかったが、緊迫した雰囲気、切羽詰まったような表情を見てしまったら、やっぱり何かあったのかと察することができた。急に入ってくる事自体が緊急を要する何かが起きたという証拠である。
「ナマエ、急いで一緒に来て!」
「な、何が起きたの?」
「早く!ここに居たら危険なの!!」
危険、何が起きた、答えはくれない。おろおろしていると、緊急事態なのもお構いなしにゆかりちゃんの背後に佇む眠そうな理が顔をのぞかせた。理も呼ばれてついてきたのか。緊張感のない理を見たら肩の力が抜けた。それと共にしっかりしないと、と自分を奮い立たせることができた。深呼吸すると、指示を仰いだ。
「…分かった、どこへ逃げればいいの」
「屋上、下は危険だから…。とにかく走って!」
心臓が脈打つ。黙って彼女と理の後を走ることにした。屋上への階段を駆ける中、先を行くゆかりちゃんの足に目が留まった。足に巻き付けられたホルダーに、銀色の銃。…何が起きる。ふいに『始まるよ』とあの子の声が再生された。…本当に、何かが始まる?『彼の運命の歯車が回り出す時が来たんだ』続けて語られた言葉も頭を駆け巡っていく。丁度、理が私の方を振り返った。もしかして『彼』って、理の事…?ぼうっと理の灰色の目を見つめ返した。
「危ないっ!!」
ゆかりちゃんの叫びと共に、急に腕を引かれた。ガラスが割れるような音、何かが壊れる音。理の胸の中で聞こえたもの達は、嫌な予感しかさせない。それでも確認しようと後ろを向いてしまった。壁に穴が開いていた。そこから覗くものに、思わず喉をひきつらせた。仮面のついた何かがこちらを見ている。すぐに、仮面は姿を消したが、すぐ近くを見て息をのんだ。…私のいた場所が壁もろとも崩れているではないか。さっきの仮面がこれを…?
「走って!!」
その言葉に弾かれたように理が走り出した。腕をひかれたままの私も引っ張られるように、屋上へ。開かれた扉から、冷えた空気が吹き込んでくる。屋上へたどり着いた。見晴らしのいい景色はやっぱり一面緑色がかっている。そして大きな満月が私たちを見下ろしている。綺麗だが、じっと見ていたら不安定になりそうだ。……不安を打ち消してほしいと、これで大丈夫なのかゆかりちゃんに聞こうとしたが、彼女が禍々しい夜景に目を向かたまま片手を広げたのに、開きかけた口を閉ざした。震える手をホルダーに伸ばす様子を見て、彼女の視線の先に目をやってしまった。
「…っ、嘘、でしょ…」
震える声。屋上の縁を、現れた黒い手が掴む。べちゃ、べちゃという音と共に何本も縁に手をかけていく。依然理と繋いだままの手を握りしめた。…あの仮面が姿を現した。何本も生えている腕も、持っている刃物も、ありありと見える。壁を上り終え、こちらへ近づいてくる。引き返そうと扉へ目を向けるも、階段は途中で崩れていた。逃げ道はない。
「ゆかりちゃ…っ」
震えるゆかりちゃんは銃をとりだし、銃を抱えた両手を額にもっていく。荒い呼吸、あっちじゃなくて、自分に――?思考が追い付かない。ゆかりちゃんは銃の引き金を引こうとするも、引けないように見えた。何も出来ず、何も止められない私は仮面の腕がゆかりちゃんへ伸びていくのを呆然と見ていた。…ゆかりちゃんが壁にたたきつけられた事を理解したくなかった。「か、は…ッ」と嗚咽と共に崩れ落ちる様。
「ゆ、かりちゃ…」
たすけなきゃ。力の緩んだ理の腕を振りほどいて、おぼつかない足取りで彼女へ寄っていく。「ナマエ!!」理のような声が私の名を叫んでいる。うまく動かなくなった首を動かすと、仮面がにじり寄ってくるのが分かった。ああもう、足がうまく動かないや。「まこと、にげて」と口から言葉が勝手に出てくる。
「にげて」
お願い、理だけは、理だけは。仮面が刃物を振り上げる。
私はやっぱり、それを見つめるだけしかできなかった。
ぱりんと割れる音。…仮面が突然視界の端を飛んでいった。その代わりに私を庇うように、大きな人型のものが立ちふさがる。機械のようなフォルム、琴を持っている。それでいて神々しい…。神様か何かだろうか?
「まこと…」
浅い呼吸で理は無事かと、理の方を向いた。理はこめかみにあの銃を当てていた。視線はしっかりと黒い仮面へ向けている。
吹き飛ばされた黒い仮面は神様に顔を向けた。腕を使って迫っていく。迎撃するように神様から炎が放たれるも、避けていく仮面。…理が黒い仮面の動きを目で追っているのに気付く。
もしかして理が彼を操っているのか?…理は、戦っているのか。…そう思ったら。私は息を整え、ゆかりちゃんを助けようとしゃがみこんだ。
「う…」
「ゆかりちゃん…!大丈夫?起きれる?」
「結城君が…ペルソナを…?」
咳き込むゆかりちゃんを抱き起こす。怪我人の処置などよく分からないまま、背中をさすったり、言葉をかけたり。ゆかりちゃんの絞り出した言葉を頭で反復した時、理の叫びが寒空をこだました。
「理!?」
頭を抱えて、膝をつく理。手を伸ばすも、彼に届かない。理のものでない叫びも聞こえる。めきめきと、生れ落ちる音。そっちを見てしまったら。
「…タナトス」
名前が頭に流れ込む。棺の翼をはやした子。大きな剣を持って、満月を背中に羽ばたいている。私を見ている。理が苦しんでいるのに、ゆかりちゃんも呻いているのに、目が離せない。
タナトスは私から目を背けると、黒い仮面へと向かっていく。伸びていく腕を避け、切り裂いていき、仮面を一刺し。一瞬の出来事だった。黒いヘドロのようなものが割れた仮面から噴き出し、その体ごと溶かしていく。広がった液体はタナトスの影へと向かっていき、解けていった。
「……」
呆然とそれを見ていると、タナトスはもう一度私の方を向いた。タナトスの体がぶれていく、…人型の神様へと姿が戻ったところで、消えていった。
先輩達が駆けつけてきたのは、全てが終わった後だった。