よかった。

 頬をなでる指、髪をとかれる手触り。人に触られるのは嫌なのに、不思議と嫌でない。たぶん、これをやさしいというのだろう。

「ナマエ」

 いつもより丸く開かれた目。「理!!」と己の名を呼ぶ歓喜にも似た声。ほんとうに、悪い気はしないのだ。

**

 理がそっと目を開いてこちらをじっと見返した。よかった。タナトスなんて、関係なかったんだ。理を連れて行かなかったのだから。

「泣いてる」
「ッそりゃあそうでしょ…!一週間も寝たきりだったんだから…ッ!」

 理に感情をぶつけるように言葉を放ってしまう。でも、決壊したみたいにどんどん、不安だった気持ち、喜びがあふれてきている。戸惑われようが関係ない。

「よかった…!…よかった…!」

 理は目を瞬かせている。ぼろぼろ涙もでてきて、理の輪郭がぼやけていく。理は何も言わない。私だけが壊れたように「よかった」と繰り返している。つれていかれなくてよかった。おいてかれなくてよかった。
 よかったも枯れ果てたころに、理がタイミングを計ったように、「よかった」と呟いた。

「…え?」
「ナマエがここにいてよかった」

 点滴に繋がれた手がこちらへ伸ばされる。それを固く握り返した。「いるよ、ここにいるよ」額にあてて、彼に祈るようにつぶやく。そうだ、理は私を守ってくれたんだ。
 顔をあげた頃、理は私の事を視線をそらさず見つめていた。ずっと見ていたのだろうか。
だが、そんな事より今は夜だし、覚醒したばかりの彼を再び眠らせた方がいいのでは、という気持ちと、眠ったらまた目を覚まさないのではないかという恐れから、これからの判断に困っていた。
私の正直な気持ちはというと、まだ理と話をしていたい。…それに従ってしまえ。

「理、まだ起きれる?」

私の問いにゆるりと頷いた理。

「…話をしていい?…あの後の事とか…、色々。話せる人、理しかいなくて」
「別にいい」
「ありがと。…きっと、理も気になってるでしょう?…あ、でも起きたばっかりでしんどかったら、目をつぶってくれてもいいし、寝てもいいし、話半分に聞いていてね」

 息を吐くと、ペルソナの事怪物の事、理事長や先輩たちから迫られたこれからの事を伝える。相槌もなく無表情で話を聞く理。いつもの会話のようだ。話し終えて、とりあえず。

「…どう思う?」
「そう言われても」

理に意見を求めるも大概どうでもいいとか、こうやってかわされるのが常だ。
でも、この話に限ってはそうなるのも仕方ないよなあと、質問しておきながらもそう思ってしまった。

「夢の話みたいだと思わない?…あんまり、現実の事だと思いたくないんだよね。…でも向き合わなきゃいけないという」
「向き合う必要、無いんじゃない」
「…そう出来たらいいんだけどね。また深夜になったらあの怪物に襲われるかもしれないし」

今日までに、何度も影時間をやり過ごした。シャドウが外に現れるのはイレギュラーと教えられるも、ここ一週間程、安心してぐっすり眠れる日なんてなかった。夜になったら影時間になる前には布団をかぶって、目をつぶって縮こまっていた。そこからは朝日が差し込むまで目を開けられなかった。

「…だから、やっぱり、身を守る術くらい知ってないといけないよね」
「その活動に参加するんだ」
「…うん、一応そうなるね。あ、でもだからってーー…」
「俺も参加する」
「早い!…そんな即決しちゃいけないと思うけど…って寝るのね」

危惧していた事態になったところで、先手とばかりに目を瞑られた。…ちょっと前に決心したばかりだから、なんと言葉をかけるべきか分からないが、やはり決断が早すぎる。自分の気持ちがない…。最後の説得とばかりに、これでいいのかと思ったことを言ってみる。

「…理、そんなに簡単に決めていいことだと思う?きっと危険だよ。…本当に、死んじゃうかもしれないんだよ?」
「……ナマエもそうだろ」

 私だって危険だし、死ぬかもしれないって事か。反撃が返ってきたが、揺るぎはしない。

「うん…。でもそれを全部分かった上で、自分で決めたことだから。理の事は私が守るし、そんな…」
「…勝手だ」
「え…?」
「もう寝る」
「理」

 顔をそむけるように寝返りをうたれた私は、「勝手だ」の意味を考える。
 自分勝手だ。危険だし、死ぬかもしれないこと、それを全部自分で分かって、活動に参加すること…。一人で決めた、自分だけで…。
 もし理が先にそう言いだしたら、勝手だと、私も思うだろう。…理は、家族だから。…理も、私を大切に思ってくれているのか。一人で勝手に突っ走ってるのは自覚してる。
理の言い分は分かるけど、私の話も聞いてほしい。そんな重大な事を私が参加するからって、すぐに決めていいの?

「一人で勝手に決めたのは悪いと思う、ごめん。でも…」

 やはり返事はない。もう一度話し合って、理に参加するかしないかじっくり考えさせなきゃ。ため息をつきながら、私も下に引いた布団で寝ることにした。

 理事長が訪ねてきたのは理が目を覚ます前の事だった。

弟くんの調子はどうだい、と理のベッドの側で立ち止まった。ずっとこうです、と返事をすれば、君にも彼にも大変な思いをさせてしまったね、と気遣われる。

「…僕たちの活動に参加するのを躊躇う気持ちもわかるよ」

でも、と言葉を続ける幾月理事長。

「弟くんが襲われたあの事故の原因が掴めるかもしれない」
「……え、…今、なんて…」

戸惑う私に向かって理事長は語り出す。

「あの事故は、影時間内に起こった事が分かっているんだ」
「…じゃあ事故じゃないって事ですか!?あの時みたいに、シャドウに襲われたって事ですか…!?」
「その可能性が高い」

警察は理の父の運転ミスで起こった事故だと発表した。理も事故のことを覚えていない。…事故から性格が一変した理。両親は腫れ物を触るように彼に接していたのを思い出す。

「そんな昔から、シャドウは人を襲ってたって事ですか…?」
「…そうなるね」

知っているのに放っておいていいのだろうか。そんな気持ちに襲われた。また誰か危険な目にあうかもしれないのに、何かできるかもしれないのに。揺れていた決心が固まっていく。戦いに参加したい。
でも、理はシャドウに関わらせたくなかった。理には、平和に暮らしていてほしい…。…それなのにこんな目に遭って、理事長は事故の原因を知っていた。

「…理事長、理を特待生としてここに呼び戻したのは…」
「あぁ、…彼に活動に参加して欲しかったからだ。…人手が欲しかったんだ。彼ら以外にも戦える人間がね。戦う理由があって、適性がある事が分かったから、協力してくれるだろうと、ここに呼び寄せた」
「……」

包み隠さず打ち明けられた。最初からそういう目的があったのか。人の良い顔をしている理事長が恐ろしく見えた。

「…理と話し合ってみます」
「それは有難い!君たち兄弟が参加してくれる事を心から願っているよ」

話は済んだとばかりに「お大事にね」と言葉を残して理事長は病室から出て行った。

まだ、理には話していない。